大林宣彦が明かした自作への思い~「自分の映画には常に戦争が出てくる。そして必ず生者と死者が同居している」
作品遍歴を1作ずつ取り上げて展開していく構成
――おふたりの細かい質問にも、大林監督は丁寧に答えられていたのが印象的でした。取材時の印象的なエピソードなどありましたら、教えてください。 馬飼野 大林監督は、現場では厳しい姿もあると聞きますが、取材の席では取材者に対しては大変穏やかなんです。その中で、たまに意外な表情をお見せになることがありました。『漂流教室』について伺ったとき、「どう作っていいのかわからなかった」と正直にお話しされていました。「僕の勉強不足、力量不足でした」と。物凄く正直な回答だなと思いました。ほかにも『あした』の初日の客入りが良くなかった、評判も悪かったと仰っていて、「なんでだろうねえ」って問われてしまい、こちらも正直に答えちゃっています。ときどき逆質問が来るんです、それが緊張しましたね。 あと、監督が検査入院されている病室を訪れた時、監督はお手洗いに行っていらしてご不在だったんですが、ある映画のシナリオが病室の簡易テーブルの上に置かれていたんです。お戻りになられたときに「このシナリオは?」と伺ったら、「いや、次の作品の参考にね……」なんておっしゃっていましたが、僕らがその時間、その部屋を訪れることはご存じだったはずなので、あれはヒントなのかなあ……と思っていたら、その「次の作品」である『海辺の映画館』にちゃんと反映されていたので、まいりました。 ――そのシナリオは気になりますね。ところで第7章「回想~個人映画、コマーシャルの時代」を除けば時系列に沿った構成になっていますが、取材はいわゆる「順撮り」で行われたのでしょうか? 馬飼野 すべて順撮りです。キャストの話や映像技法の話など、順番に聞かないと成立しないので。 本来ならば生い立ちから順に聞いていくのが常道ではあるのですが、あえて本書では商業映画第1作の『HOUSE/ハウス』からスタートしています。これは狙いがあって、監督の人生を追っていくというよりは、その作品遍歴を1作ずつ取り上げて展開していく構成を考えておりました。ただ、大林監督の場合、『HOUSE/ハウス』以前に既に自主映画作品が何本もあり、同時にCMクリエイターとしてもご活躍されていたため、生い立ちから進めていくと、商業映画作品に到達するまで数十ページを費やしてしまうこと、加えて自主映画とCMの2本立てで凄まじい数の仕事をされているので、そこまでで読者には膨大な情報量となってしまい整理しきれないのでは、という懸念があったのです。加えてCMのお仕事は商業映画デビュー以降も続けていらしたこともあり、これは別項でまとめたほうが良いだろう、と考えてこういう形になりました。監督は当初、戸惑っておられたようですが、結果としてこの形で良かったと自分では思っています。 自主映画作品とCM作品をどこに配置するかは、かなり迷ったのですが、2000年代に入って、大林映画が新たなフェーズに入ったという認識があったので、2000年代のアタマに置くことにしました。なぜなら、自主映画とCMの時代の大林監督は物凄く尖った、先鋭的な映像作家だったんです。そして2000年代以降、「大林宣彦は決して、甘く優しい性善説に則った映画ばかり作っている作家ではない。実は強烈にアバンギャルドな作家なのだ」という、新たな視点による再評価が批評家やファンの間でも高まりつつあったので、最も前衛的だった時代の仕事をこの位置で読んでもらえると、観客でもある読者が得心できるのではないか、という考えです。それが上手くいったかどうかは、読者の方々の判断に委ねたいと思いますが。 ――とても成功していると思います。ところで監督の原稿チェックは、どのようなものでしたか? 馬飼野 これまでに何度も取材原稿のやり取りをしてきたので、心得てはいたのですが、校正は元の文章より、間違いなく増えます(笑)。何回も監督は校正されておりますが、注釈にも監督の校正が入っています。こちらでも裏取りはしているので、監督に整合性を問い合わせたり、と、こういったインタビュー本の常識的な作業は、普通に行っています。