なぜダメだった…。日本の「消えた天才」(9)「才能は日本一」オシムに絶賛されたストライカー
若くして評価され、「天才」と称される選手たちがいる。しかし彼らがそのままスター選手として活躍し続ける保証はない。怪我やプレッシャーに苦しみ、コンディションを落としていく者もいる。今回は大きな期待を背負いながらも才能を発揮しきれなかった日本人選手を紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照。
FW:林丈統 生年月日:1980年10月14日 主な在籍クラブ:ジェフユナイテッド千葉、京都サンガF.C. 林丈統は、サッカーの名門校・滝川第二高等学校の出身で、1998年に全国高等学校サッカー選手権大会で得点王に輝き、卒業後にジェフユナイテッド千葉でプロキャリアを始めた。 期待の新人は、プロ1年目から主にスーパーサブとしてJリーグの舞台で起用され、着実に成長を続けていき、この世代屈指のストライカーとして評価を高めていく。 身長168cmと上背はないものの、裏に抜け出すスピードが抜群で、ドリブル突破も得意。さらにキック精度も高く、攻撃でさまざまなことができる選手で、2003年にはリーグ戦23試合出場で7得点を挙げた。 2003年に千葉の指揮官に就任したイビチャ・オシム監督は、林の才能を高く評価した人物で、2005年のJリーグチップスのオマケとして付いてきた同選手のカードでは、「オシム監督が『才能は日本一』と評価するFW」と紹介されていた。 しかし、林には「スーパーサブから抜け出せない」という問題があった。11試合出場で6得点を挙げた2003シーズンJ1セカンドステージですら、先発はわずか4回で、1試合を通して相手の脅威になることができず、レギュラーポジションを獲得できなかった。 スタメン定着を希望した林は、2006年に京都サンガF.C.に移籍。翌2007年にはジュビロ磐田にローンで加入したが、目立った結果を残せず、2010年にJ2へ降格した千葉に復帰した。しかしカテゴリーが変わっても得点を挙げられず、2年で契約が満了した。その後はタイのテロ・サーサナFCで半年間プレーし、2012年夏に大分トリニータに加入した。 大分ではレギュラーシーズンで得点を挙げられなかったが、大きな仕事を1つ成し遂げている。2012シーズンのJ1昇格プレーオフ決勝で千葉と対戦した際、林が決勝点を決めた。後半途中からの出場で、古巣の夢を打ち破ったのは、何か特別な縁を感じずにはいられない瞬間だった。 翌2013シーズンで現役生活を終えた林は、J1で通算28得点、リーグカップ通算13得点と、プロとしてまずまずの結果を残した。しかし、「日本一の才能」という名将からの評価を考えると、もっと輝けたかもしれないと思ってしまう。
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