卓球女子の平野 苦悩越え、夢舞台で笑顔 母真理子さん「頼もしく成長」【パリ五輪】
【パリ=静岡新聞社臨時支局】卓球界では〝世界一〟に匹敵するアジアの頂点を極めて7年。「打倒中国」はならなかったが、平野美宇(24)=木下グループ、沼津市出身=がパリ五輪を戦い抜いた。栄光の後の長い苦悩を乗り越え、10日の女子団体決勝で2大会連続の銀。家族と駆け付けた母真理子さん(55)は「アスリートとして、人として頼もしく成長した」とまな娘の雄姿を見つめた。 大きな転機があった。2018年1月の全日本選手権シングルス決勝。真理子さんは伊藤美誠(23)=スターツ、磐田市出身=との激闘を見つめながら「このまま続けたら、美宇の心が死んでしまう」と思った。17年全日本で最年少優勝し、同年春にアジア選手権を制覇。本来は最も勢いがあるはずなのに、「全く生き生きしていなかった」。 当時、弱冠17歳の日本人に覇権を奪われた王国・中国の対応は早かった。高速卓球は研究され、あっという間に勝てなくなった。真理子さんはこの時、JOCエリートアカデミーで暮らす平野が重圧と焦りで心をすり減らし「ラケットを持つだけで涙が出る状態だった」と聞き、全日本後に「卓球なんて辞めていい。帰っておいで」と手を差し伸べた。だが、返答は「やっぱり五輪を諦めきれない」。幼少期の夢を追い続ける覚悟を決めていた。 東京五輪で手にできなかったシングルス切符をつかんだパリ五輪。個人ではメダルを逃したが、団体戦は万全でない早田ひな(24)=日本生命=の分までチームを引っ張り、初出場の張本美和(16)=木下グループ=を支えた。最後は「この舞台に立てたことが幸せ。自分だけの力では来られなかった」と笑顔だった。「責任感や重圧を、喜び、追い風に変えて夢舞台を楽しんでいた」と真理子さん。勝っても負けても前を向き、周囲のサポートに感謝し、プレーできることを楽しむ―。そこには卓球を始めた頃から親子で追い求めてきた姿があった。
静岡新聞社