なぜ潰れた? 名車と振り返る「消滅した自動車メーカー」 32選 前編
では、ファセル・ヴェガはどうなったのか
メルセデス・ベンツのような大手のライバルとの競争に敗れ、1964年に閉鎖された。ルイ・ヴィトンやシャネルのような世界的な高級ブランドの本拠地であるフランスが、なぜここ数十年、成功した高級車ブランドを生み出せなかったのか、いまだに謎のままである。
ハドソン:ホーネット(1951年)
ハドソン・ホーネットは、大きな丸いヘッドライト、ふんだんに使われたクロームメッキ、ポンツーンのようなリアエンドへと流れていく長いルーフラインを備えている。パワートレインは5.0L直6を採用。1950年代初頭のNASCARレースを席巻したことでも知られる。 ■では、ハドソンはどうなったのか? 1954年にナッシュ・ケルビネーターと合併し、アメリカン・モータース・コーポレーション(AMC)が設立された。ハドソンのバッジは1957年まで存続した。AMCの名残は、特にジープを含め、現在ステランティスにある。
イノチェンティ:ミニ(1974年)
スクーターメーカーのイノチェンティは、英国のオースチンと共同で自動車製造部門を設立した。1960年代にはライセンス生産でミニの製造を開始し、1974年にはベルトーネのマルチェロ・ガンディーニがスタイリングを手がけた改良モデルを発表した。ベルトーネは、イタリアの新星アウトビアンキA112に対抗するため、ミニをよりモダンなデザインと実用的なハッチバックに仕上げた。 イノチェンティ・ミニは何度か改良され、1985年にはエントリーレベルの2気筒エンジンがラインナップに加わった。内外装を何度かアップデートしたものの、やがて時代遅れとなり、1993年に引退した。
では、イノチェンティはどうなったのか?
1990年代、フィアットはイノチェンティとマセラティをデ・トマソから徐々に引き継いだ。イノチェンティの工場は閉鎖され、ブラジル生産の第2世代ウノをイタリア製モデルよりも安い価格で販売するミッレのような一連のバッジエンジニアリング車が与えられた。フィアットは1997年にイノチェンティを廃止し、現在はステランティスがその名称を所有している。