なぜ潰れた? 名車と振り返る「消滅した自動車メーカー」 32選 前編
デイムラー:SP250/ダート(1959年)
かつて英国の王侯貴族にも自動車を供給していたデイムラーは、もともとはドイツのダイムラー社から派生した会社だ。英語の綴りはどちらも「Daimler」だが、通例に従い、ここでは区別のために英国側をデイムラーと表記する。 英国では独自のモデルを生産しており、中でもSP250のエンジンは興味深い設計で、排気量わずか2.5LながらV8だった。エレガントでありながら見た目も面白く、最高速度190km/hと高性能で、重厚な従来モデルとは一線を画している。英国初の高速道路M1でスピード違反の取り締まりに使われたのは有名な話だ。
では、デイムラーはどうなったのか?
同社は1960年にジャガーに売却され、最終的にバッジエンジニアリングされたジャガーの派生ブランドとなった。2007年に消滅したが、権利は未だにジャガーが保有している。とはいえ、本家のダイムラー(ややこしい……)が現在、メルセデス・ベンツの大型トラック部門の名前にもなっていることから、復活する可能性は低いと思われる。
デソート:モデルK(1928年)
1928年にクライスラーによって設立されたデソートは、1929年モデルに最初の市販車であるモデルKを発表した。発売後1年間で8万1065台を販売し、この記録は数十年間破られることはなかった。モデルKは同クラスのクライスラーよりも安く、6気筒エンジンを搭載し、ロードスターを含む多くのボディスタイルが用意された。適切な時期に登場した適切なモデルであり、デソートの未来は明るいと思われた。
では、デソートはどうなったのか?
デソートの初期の成功はすぐに色あせた。クライスラーは1928年にダッジも買収しており、この2つのブランドはしばしば重複していた。どちらも大衆車としてクライスラーより下位に位置づけられていたのだ。 1952年には新型ファイヤードームV8を、1955年には「フォワード・ルック」と呼ばれるデザイン言語を採用した。1958年にはエドセルを終焉させたのと同じ不況の影響もあって販売が落ち込み、クライスラーは1961年にデソートを閉鎖した。