「中野真矢が語る 『YAMAHA YZF-R1』。ヤマハのハンドリングとは一体なにか?」
いつの頃からか耳にするようになったライディングの常套句が「ハンドリングのヤマハ」だ。それはパワーに勝るライバルをコーナリングで追い詰めここぞというタイミングで狙いすましたように抜き去る様を指し剛より柔、力より技を好む日本人の琴線に触れる言い回しとして定着した。果たしてそれは、200ps級の最新スーパースポーツにも継承されているのか? 性能が行き着くところまで行き着いた今、コーナーで優位に立つということが起こり得るのか? 2020年型YZF‐Rシリーズのインプレッションを通し、検証していこう。
The Evolution of Speed Racer コーナーで負けるわけにはいかない
YZF-R1が衝撃的なデビューを飾ってから5年が経過。そのパフォーマンスは今なお衰えることを知らないが微に入り細に入る改良が施され、2020年型として登場した。その進化をふたりのテスターの声を通してお届けしよう。
Cross Talk 中野真矢&伊丹孝裕
中野真矢(左)’77年生まれ。TZ125とTZR250でNB時代を過ごし、全日本チャンピオンを経て、YZR250、YZR500、YZR-M1でGPを転戦。ヤマハのマシンを知り尽くしている。 伊丹孝裕(右)’71年生まれ。本誌テスターとしてあらゆるメーカーのスーパースポーツを中心に試乗。かつてはマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿8耐などのレースに参戦してきた。
YZF-R1 開けられる200ps もうひと寝かせできる懐の深さがヤマハらしさ
リッタースーパースポーツのレベルが一気に引き上げられたのが5年前のことだ。その立役者が他でもない、ヤマハYZF‐R1である。 15年の5月、富士スピードウェイで開催された国内試乗会の衝撃は多くの関係者の記憶に焼きつき、今なお話題にあがることがある。なぜなら、世界的に見ても屈指の高速サーキットとはいえ、メインストレートではあまりにも簡単にメーター表示限界の299km/hに到達。しかもその時点で1コーナーは遥か先にあり、エンジン回転にも明らかな余力が感じられたからだ。 途方もないマシンが登場した……。誰もが新時代の幕開けを痛感し、時計の針が急激に進められたことに畏怖すら覚えたのである。 実際、主戦場であるサーキットでは存分にポテンシャルを見せつけた。鈴鹿8耐では4連覇(15年~18年)を達成し、全日本ロードレースも17年を除いて4度制覇。最強最速マシンとして揺るぎない地位を確固たる ものにしている。 先頃、そんなYZF‐R1にモデルチェンジが施され、国内販売が始まった。本誌ではすでにファーストインプレッションをお届けしているが、今回はハンドリングとドライバビリティに軸足を置き、そのパフォーマンスに迫ってみよう。メインテスターを務めてくれたのは、ヤマハを知り尽くす中野真矢さんである。 伊丹 15年型YZF‐R1の発表会の時、中野さんも参加されていたことをよく覚えています。現役を引退されてから数年経っていたとはいえ、一般市販車にはまだそれほど馴染みがなかった頃じゃないですか? 中野 はい、まったくその通りで、大型2輪の免許を取ったのが引退を発表(09年)する少し前のことでした。ずっとタイヤウォーマーありきで育ってきたので、皆さんが冷えたタイヤで普通に走り出すのが信じられなかったほど。そういう意味ではあの試乗会はレースに近い雰囲気でしたね。スリックタイヤを履いた仕様も用意されていて、もちろん全車ウォーマーが巻かれた状態でしたから、現役気分でコースインすることができました。 伊丹 その時の印象はどうでした? 中野 強烈でしたね。あの広大な富士スピードウェイですら扱い切るのが大変なパワーで、ヤマハは一体なにを考えているんだって、わりと本気で思いましたよ(笑)。あれから仕事でもプライベートでも様々なスーパースポーツに乗るようになり、メーカー毎の個性や開発の方向性が分かってきました。 伊丹 それはどういう部分ですか? 中野 カワサキ、スズキ、BMWといった直4等爆エンジン勢と比較すると分かりやすいのですが、これらは減速のためにスロットルを閉じた瞬間、フロントに荷重が掛かるプロセスが明確です。イメージで言えば、タイヤがギュッと押さえつけられて太くなったようなフィーリングで、挙動としてはとてもわかりやすい。 伊丹 確かに。その点、YZF‐R1は姿勢変化が少なく、フワッとコーナーへ放り込まれるような印象ですね。中野さんも僕も世代的に2ストローク育ちですが、エンジンブレーキに頼らないあの感覚が大排気量4ストロークで再現されていることに驚きます。右手を戻すというただそれだけのことで、「うわ、これはレーシングマシンだ」って感じられて刺激的です。