実録:新型コロナウイルスのワクチン治験で何が起きる? 接種の流れから副作用まで、実際に参加してわかったこと
10月20日。わたしは米国のアリゾナ州ツーソンにあるクリニックの一室で、バイオ企業のモデルナが開発している新型コロナウイルスのワクチン「mRNA1273」についての説明を受けていた。このワクチンの第III相二重盲検ランダム化臨床試験に参加するためである。 「有効性90%超」を謳う新型コロナウイルスのワクチンが、医学における“歴史的な成果”になりうる理由 米国の都市80~100カ所で7月27日から始まった被験者30,000人の大規模な治験の参加者が、10月23日に締め切られる予定だった。まさに滑り込みの参加である。 モデルナは治験の最後の1週間、マイノリティの募集に力を入れていた。米国では有色人種の社会的少数派に属するわたしは、健康で何の問題もなく、未知のワクチンを試すにはおそらく“好物件”のはずである。 そこでクリニックに電話をかけてはみたものの、幼いころから注射は気が遠のくほど苦手なせいで、勇気が出ずにワン切りしてしまっていた。ところが数日後、電話は1コールであっけなくつながってしまった。 一気に覚悟が固まった。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)を気にしなくてもよくなる人類の未来に貢献するための“実験台”になるという覚悟である。
人類史上初の遺伝子ワクチン実用化
治験に参加するまでに数日を要した理由は、もちろん針への恐怖心が大部分ではあった。しかし、モデルナの遺伝子ワクチン開発における技術を知りたかったというのもある。モデルナのサイトでは、これまでに発表された論文のほか、メッセンジャーRNA(mRNA)技術を使用した初の遺伝子ワクチンを説明する動画もある。 mRNA技術を知るには、「生命とは何か」を根本的な意味で理解しなくてはならない。生命とは、生体系に“情報”の流れがあるもののことだ。生体内を行き来する情報とは、たんぱく質をつくり出すアミノ酸配列がコード化されたmRNAのことであり、それこそが健康や病気を決定している。 簡単に言うと、体内を常に巡っているmRNAは、細胞に何をつくるのか指示する物質である。それはわたしたちの体の中のすべての細胞に作用するだけでなく、すべての生命に通じる仕組みなのだ。 mRNAワクチンの合成・開発は、基本的に実験室で行われる。従来のワクチンのようにウイルス粒子や不活化ウイルスを必要としないことから、ウイルス培養の時間を大幅に削ることができ、迅速かつ安価に製造できるという。旧型のワクチンとは異なりRNAワクチンは、特定の疾患に特異的な抗原をコード化したmRNA配列を生体内に直接投与することで機能する。 例えば、新型コロナウイルスの表面にある突起物「スパイクたんぱく質」は、ウイルスが宿主細胞に結合するために使うものだ。モデルナとファイザーの遺伝子ワクチンは、新型コロナウイルスに特異的な抗原(スパイクたんぱく質)が細胞で生成されるようにmRNAにプログラムされている。 抗原が体内で生産されると、免疫システムが抗原を認識し、それに対する抗体をつくり始める。次にこれと同じ抗原をもつ新型コロナウイルスが体に侵入した際には抗体が素早く反応し、撃退できる仕組みだ。 実はmRNAワクチンの構想は1990年代から存在していたが、既存の病気に対するワクチンは十分に機能しており、これをわざわざ新たな技術で開発する動機づけがなかった。しかし最近になってmRNAを生成する技術が飛躍的に向上し、医療分野での実用化が期待されていた。こうしたなか、人類に降りかかったのが新型コロナウイルスのパンデミックだったのである。 研究者らはCOVID-19の原因となる新型コロナウイルスのゲノム情報が得られると、すぐにこのウイルスに特異なスパイクたんぱく質の情報をmRNAワクチンに組み込む設計を始めた。パンデミック終息のための政府からの多額の投資は、これまでに承認されることがなかった遺伝子ワクチンの早急な開発を後押ししたのだ。 資本主義は、より安全でより確実なワクチンの開発競争を促してきたはずである。だからこそ、医療技術のブレークスルーとなる遺伝子ワクチンの承認プロセスを、ぜひ身近で見てみたいと思った。そう、人類の未来のためという使命感は建前で、本音は単に新技術への興味が針の恐怖に勝っただけなのである。