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ママの呪縛を乗り越えた宮沢りえ 自己プロデュースで復活【芸能記者稼業 血風録】

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日刊ゲンダイDIGITAL

【芸能記者稼業 血風録】#74  激ヤセした宮沢りえを偶然、目の当たりにしたことがある。麻布十番にある、芸能界から政財界まで利用者の多い高級中華料理店だった。初めて行った店で渦中の人に遭遇。「ツキがある」と思った。  りえは業界関係者らしき人たちと奥の席で食事をしていた。どの程度、食べていたかはわからないが、化粧室に向かうりえが近くを通った。 「ほそ~い」  一緒にいた人と顔を見合わせた。長めのワンピースを着ていたと記憶するが、横からのシルエットは「薄い」と思ったほど。拒食症を裏付ける目撃談も知人から寄せられた。  表参道の高級寿司店のカウンターに居合わせた知人。りえが「マグロ」と頼んで板前が出した握りは親指大。拒食症のために、一口で食べられるサイズに板前が苦心して握ったことがうかがえたという。激ヤセは女優生命の危機だ。りえが復帰作に選んだのは真田広之主演の時代劇「たそがれ清兵衛」だった。洋服と違い、和服は体形を隠すことができる。むしろ、少し痩せているほうが和服は奇麗に映る。  りえにオファーした山田洋次監督とマネジメントしたりえママの作戦は見事に当たった。りえの出演効果で映画はヒット。「いい女優になった」と、りえの評価も跳ね上がった。  ヌードはりえママの完全プロデュースだったが、貴花田との婚約騒動、自殺未遂も常にりえママは見え隠れする存在だった。俗に「ステージママ」と呼ばれる人はいる。ギャラなどの待遇面などで口を出す人が少なくないが、りえママは娘のいい面を引き出し、売り出すタイミングまでわかっていた。  その点では美空ひばりのママと双璧だが、ひばりママはめったにメディアに登場することはなかった。りえママも表に出ることは少なかったが、裏ではメディアと上手に付き合っていた。大泉洋の映画ではないが、「りえママはバーにいた」。六本木の行きつけのバーで独り酒をしていた。 「ストレス解消だけでなく、りえの作戦を練っていた時間だったと思います」(映画関係者)  今は会員制のバーが多いが、当時のバーは誰でも入れた。ママ詣でをするメディアもいたが、雑談には応じても肝心なことは言わない。軽くはじきとばされる。格の違いさえ感じるほどだった。  ただ、同じぐらいの年齢の記者よりも若い記者のほうを可愛がったようで、かなり気に入られて食い込んでいる若手記者もいた。メディアとしては手ごわい相手でも、ママなくしてりえの女優人生はない。若くして課せられた数々の経験を経てりえは強くなった。  それを実証したのが「母離れ」だった。りえは自ら母から離れ、自己プロデュースに転じた。銀行員の使い込みをテーマにした映画「紙の月」での大胆な演技。舞台への挑戦など、女優として磨きをかけた。私生活でもハワイの青年との結婚・離婚を経てシングルマザーとなったが、森田剛との隠すことのない恋を実らせ再婚。名実ともに大女優として歩み始めた。 (二田一比古/ジャーナリスト)

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