テレビは嘘をついたら絶対に駄目――黒柳徹子が芸能生活70年で気づいたこと #昭和98年
そうした思いの原体験は、トモエ学園の級友“泰明ちゃん”との思い出にある。小児まひだった泰明ちゃんは、まだ日本にはなかったテレビの存在を黒柳に教え、黒人奴隷の半生が描かれた小説『アンクル・トムの小屋』も貸してくれた大切な友だちだった。 しかし泰明ちゃんは病のため幼くしてこの世を去った。それは彼女にとって初めての“別れ”だった。 「やっぱり泰明ちゃんに会ったことが、私の人生の中で思いがけないほど大きいことだったんだと思います。どうして泰明ちゃんは病気なんだろう? どうして治らないんだろう?って思っても、どうすることもできない。もし泰明ちゃんが小児まひじゃなかったら、もっと一緒にいろんなことができたのに。今でもそう考える時がありますね」 黒柳がトモエ学園時代の思い出を綴った小説『窓ぎわのトットちゃん』(1981年)が初めてアニメ映画化され、まもなく公開される。そこでは黒柳(トットちゃん)と泰明ちゃんとの出会いと別れが描かれている。 「世の中には、どうしようもなく不公平なこと、不条理なことがある。泰明ちゃんと出会った時、そして死んでしまった時、私はそれを初めて知ったんだと思います」 大人になってから今日までもさまざまな出会いと別れがあった。親しい友人のなかには、すでにこの世を去った人も少なくない。 「仕方がないんです、やっぱりね。どんなに泣いても人は死ぬものだし、ただ受け入れるしかないんですよね」
世の中の不条理を見つめながら、自分に正直に生きてきた。今、黒柳が抱く“幸せ”のイメージとは? 少し考えて、こう答えた。 「何にも思い煩うことがない、ということですかね。何かをひどく思いつめて体を悪くするなんて、つまらないじゃないですか。この仕事はとにかく元気でいることが重要だから、その点、私は幸せなんだと思います」 「最近はみなさん“終活”とおっしゃいますけど、私は全く考えていない。(具体的に)どうすりゃいいの?という感じで(笑)。それよりも、今の仕事をこのまま続けていったほうがいいのか、もしくは、今とはかけ離れた世界に入ってみるのも面白いのか……」 黒柳は近年、「勉強して政治記者を目指すのが夢」と語っていた。どうやら終活どころではなさそうだ。 「『徹子の部屋』の50周年もあるし、恋愛だって結婚だって政治記者だってあるかもしれない。まだまだやりたいことがたくさんありますから」 黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ) 女優・ユニセフ親善大使。東京・乃木坂生まれ。東京音楽大学声楽科卒業後、NHK放送劇団に入団。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。日本初のトーク番組『徹子の部屋』は48年目を迎えた。著作『窓ぎわのトットちゃん』は35以上の言語に翻訳され、現在までの累計発行部数は日本国内で800万部、全世界で2500万部を突破。今年、『続 窓ぎわのトットちゃん』が発売された。テレビや舞台出演、執筆業のほか、YouTubeチャンネル「徹子の気まぐれTV」も配信。映画『窓ぎわのトットちゃん』は12月8日全国公開。 ___ 「#昭和98年」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。仮に昭和が続いていれば、今年で昭和98年。令和になり5年が経ちますが、文化や価値観など現在にも「昭和」「平成」の面影は残っているのではないでしょうか。3つの元号を通して見える違いや変化、残していきたい伝統を振り返り、「今」に活かしたい教訓や、楽しめる情報を発信します。