「黒い雨」はどこまで降ったのか・・・? 調査されなかった津田地区で語られる共通の記憶 第二次訴訟の原告は64人に 広島
当時5歳の女性 「(柴が)濡れるから、雨で。そのまま置いとったらやれんじゃないですか。ほいじゃけ、ここ(軒)に、屋根の下にみんな入れて。お母さんがしよるのをね、それを手伝う。濡れるから一緒に」 ■「データがあれば雨域は広がる可能性がある」 第二次「黒い雨」訴訟 原告 高野鈴子 さん 「とにかく、隣の町の友和に爆弾が落ちたから、もっとこっち来るかもわからないって、もうとにかく、おんぶしたり抱っこしたりね。逃げたって言っていました」 原告の1人でもある高野さんは、当時2歳。記憶はありませんが、母や姉から原爆投下後に防空壕に逃げた話など、繰り返し聞かされていたそうです。 第二次「黒い雨」訴訟 原告 高野鈴子 さん 「長い時間だから、中は真っ暗だし、ぐずぐずぐずぐず言ったんだと思います。この中にお芋が入れてあったから、さつまいもが。それをかじって。もう(防空壕の扉を)開けてみたら雨が降っているけど、まあ濡れてもいいわ。家に帰ろうって言って、濡れながら家に帰ったんだそうです」 高野さんは、直後に下痢や高熱があり、その後もずっと体が弱く、17歳の時に甲状腺機能低下症だと判明しました。 第二次「黒い雨」訴訟 原告 高野鈴子 さん 「悔しいです。本当にあったのに。全部、こう押さえつけられているっていうか、ないものとされているから。命ある限り言い続けたいと思います」 気象学者 増田善信 さん 「ここにデータがあれば・・・(ふくらませた線を書いて)こうするのは当たり前」 約40年前、手弁当で調査した気象学者の増田善信さんは、それまで「雨が降った」とされていた範囲を4倍ほどに広げる結論を論文として発表しました。そして、その論文の中で「データ数が不十分なエリアでは今後、雨域が広がる可能性がある」ということを明示していました。 気象学者 増田善信 さん 「(当時は)それが限界だったんですよね。それ以上の(アンケート用紙)が届けてあれば、(雨域が)もっと広がる可能性っていうのは十分ある」