「黒い雨」はどこまで降ったのか・・・? 調査されなかった津田地区で語られる共通の記憶 第二次訴訟の原告は64人に 広島
当時9歳の男性 「この辺ですよ。この辺です」 裁判の原告に限らず、津田地区で「雨に遭った」という人たちを取材しました。 当時4年生だった男性は、祖父から預かった野菜や花を運ぶために店に向かって歩いていたら、雨がひどくなり、売り物にならなくなるために引き返したといいます。 当時9歳の男性 Q. もうずっとその間、降っているような感じ? 「そうそうそう、ここはもう土砂降りだったけぇね。大きな粒の雨ですからね」 男性は、13年前に血液のがんになり、前立腺がんや白内障も患っています。 当時9歳の男性 「自分は(雨に)遭っているんです。それは嘘でもなんでもないんですよね。それだけですよね。訴えることは」 ■37年前に現地調査した気象学者が語る「当時の調査の限界」 今月、101歳になった気象学者の 増田善信 さんは、気象庁を定年退職した後、当時の認定基準となっていた雨の範囲に疑問を感じ、手弁当で広島に通い、「黒い雨」の調査にあたりました。 増田さんは湯来町などで集会を開き、10か所で111人以上から直接聞き取りをしたほか、1188枚のアンケートを回収し、分析しました。 しかし旧津田町では、アンケート調査さえ実施されませんでした。 気象学者 増田善信 さん 「調べてないんだから、その辺は。津田なんてところは。(調査は)あくまでも不完全、途中だと。だけど、それはもういくら悔やんだってしょうがない。そういう点で言うと、まあ、わたしはかなりのところまでやったけれど、周辺部分はほとんど手がついていませんというのが、これはもう一番はっきりしているんじゃないですか」 津田地区で「雨に遭った」という人はほかにも見つかりました。 当時5歳の女性 「そこで遊びよった時に、ピカっと光ってドーンっていう音が。すごい音がしたのを覚えとる。はっきり覚えとる」 当時5歳だった女性は、庭に干してあった柴を飛び越えて遊んでいました。すると雨が降り出し、大人たちがやってきたそうです。