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【セブンからエキシージまで】ロータス ブリティッシュ・スポーツの歴史

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AUTOCAR JAPAN

走りを楽しめるピュア・スポーツ

text:Andrew Frankel(アンドリュー・フランケル) 英国を代表する自動車メーカーは数多くあるが、長年に渡りドライバーの心を惹きつけてきたスポーツカーメーカーは少ない。ロータスはその1つだ。 【写真】マーク6~エキシージ【走りを愛するドライバーに愛され続けるロータス】 (92枚) スポーツカーの代表格といえば、賛否あるだろうが、やはりポルシェだと思う。多くのドライバーが一生に一度はシュトゥットガルト生まれのクルマに恋をするはずだ。 しかし、ロータスは人を選ぶ。万人受けを狙わない。ドライバーに媚びず、己の目指すスポーツの世界を突き進む。それがロータスだ。 多くの自動車メーカーと同様に、その歴史は決して順風満帆ではなかった。 しかし今、ジャガー・ランドローバーを成功させたフィル・ポップハムがCEOという重要な役割を担っているが、その未来は、今までにないほど明るく見えたと言っていいだろう。 2017年に中国のジーリーホールディングがロータスの親会社となったことも大きい。 ボルボがジーリーホールディングの傘下に入って以降、同社は長年の低迷状態から復活し、世界クラスのラインナップを揃える真のブランドへと急浮上した。 今後のロータスには期待が持てる。 しかし、ひとまず今のところは、ロータスの歴史を振り返り、その偉大さと、最高のロータス車(そうでないものも含む)を称えようではないか。 ロータスといえば、運転してこそ価値を理解できるクルマであり、将来ロータスに何が起ころうとも、それはこれからも変わらないものでなければならない。

ロータスの偉人たち

ロータスが実際にいつ誕生したのかは議論の余地がある。 創業者であるコリン・チャップマンが最初にクルマを製造したのは1948年で、オースチン・セブンを改造したものであった。 しかし、ロータス・エンジニアリングが設立されたのは1952年で、それまでのワンオフモデルとは異なるロータス・マーク6が最初に一般に販売されたのも同年だ。 最も偉大なロードカーへのオマージュは、1957年のロータス・セブンから始まる。 現代のケータハムと60年以上前のロータスを見比べても、そのスタイリングの類似性は見落とせない。 ロータスがすでにF1、F2などモータースポーツ用のレーシングカーを製造していたが(1955年にはチャップマン自身もロータスでル・マンに参戦)、セブンはマーク6の設計思想を発展させ、クラブレーサーやレクリエーション用のロードカーとしてもアピールできるようにしたのだ。 ロンドン北部ホーンジーのステーションホテルの裏手にある工場で製造されたスペースフレームのセブンは、チャップマンの思想を反映し、アルミニウム製のボディを持つ超軽量構造が特徴だった。 車重420kgという軽さを誇るセブンは、他に追いつくものがないという理由でレースに出ることが禁止されたり、独自のクラスでのレースを余儀なくされたりすることもしばしばあった。 奇妙なことに、チャップマンは自身の革新性に飽きてしまったのか、1973年にそのデザインの全権利をケータハム・カーズのグラハム・ニアーンに売却してしまった。 45年後もこのクルマが健在であることを知っていたら、彼は売却を考え直したかもしれない。 セブンとロータス・エリートを見ると、この2台が同じ時期に同じ思想から生まれたとは思えない。 チャップマンはエンツォ・フェラーリのように、ロードカーを自身のレースの資金調達の手段と考えていた。 エリートは大成功を収めたが、その主戦場は公道だ。 イノベーションはいたるところに存在した。 アウディは1980年代、100セダンのCd値(空気抵抗係数)が0.30という世界最高レベルの数値を誇ったが、エリートはその四半世紀前に0.29を計測していた。 リアサスペンションは、ドライブシャフトをロアリンクとして使用する、いわゆるチャップマン・ストラットを採用していた。 最も注目すべき点は、グラスファイバー製のモノコックを採用した最初のモデルであったことだ。 オープンカーでもなく、室内の広いロードカーとしては、驚くほど軽量であった。 クラッシュした時のことを考えると気軽にハンドルを握る気にはなれないが、当時の人々はそうは考えなかったようだ。 エリートは1963年に消滅したが、需要がなかったのではなく、生産コストの上昇が原因である。 その頃にはすでに後継車のエランが発売されていた。

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