『涼宮ハルヒの劇場』はもはやハードSF? 2000年代の名作シリーズ、最新刊でも色褪せない魅力
そうか、もう20年以上の歳月が経つのか。書店の手書きのポップ「2000年代の名作 久しぶりの新刊」を見ながら、谷川流の『涼宮ハルヒの劇場』を手にして、そんなことを思った。なにしろシリーズの第一弾『涼宮ハルヒの憂鬱』が、第八回角川スニーカー大賞の大賞を受賞して出版されたのが、2003年なのだから。以後、順調にシリーズを刊行。2006年に京都アニメーションが制作したテレビアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の大ヒットにより、原作シリーズも爆発的な人気を獲得した。 ラノベはどうやって世界に広がった? 渋谷TSUTAYA「ライトノベル展2024」で知る軌跡と現在地 だが、しだいにシリーズの刊行ペースが遅くなる。本書は前巻の『涼宮ハルヒの直観』から四年ぶりとなる新刊だ。まあ、刊行期間が空いても、読みだせばすぐに涼宮ハルヒの世界に入っていけるのが、このシリーズのいいところ。今回も、あっという間に、物語にのめり込んでしまった(以下、基本設定の一部ネタバレがあるので、シリーズ未読の人は注意してほしい)。 本書は「ファンタジー篇」「ギャラクシー篇」「ワールドトリップ篇」「エスケープ篇」の四篇で構成された、連作風の長篇である。前半二篇は、それぞれ「ザ・スニーカー」2004年8月号と、2006年6月号に掲載された。後半の二篇は書き下ろしだ。イラストは、いとうのいぢが担当。「ギャラクシー篇」で、左ページに三連続で掲載されているイラストが素晴らしい。 物語はいつものように、高校生の涼宮ハルヒ率いるSOS団が、とんでもない騒動にかかわることになる。ちなみにSOS団とは、世界を大いに盛り上げる涼宮ハルヒの団のこと。団の(というかハルヒの)目的は“宇宙人や未来人や超能力者を捜し出して、一緒に遊ぶこと”である。ただしハルヒは知らないが、この目的はすでに達成されている。なぜならSOS団の、長門有希・朝比奈みくる・古泉一樹の三人が、それぞれの存在に当てはまるからだ。そして三人以上に、ハルヒは特異な存在である。視点人物で語り手であるキョン(本名不明)だけが、特別な力を持たない一般人なのだ。いやまあ、ハルヒたちに付き合えるだけで、一般人とはいえないと思うが。 ともあれこの五人が、さまざまな世界で暴れ回る。いきなりファンタジーRPGの世界で王様から、魔王城に監禁されている王子と姫を救出し、魔王を倒すよう頼まれた勇者ハルヒのパーティー。とはいえハルヒは、いつものように唯我独尊で猪突猛進だ。王様や森の賢者のいうことなど聞かず、好き放題に突っ走る。そのハチャメチャぶりが愉快痛快。しかし、きちんとミッションをコンプリートしなかったため、気がつけばスペースオペラの世界に飛ばされる。王様や森の賢者が、似たような別人として登場。今度は、宇宙海賊に連れ去られたという王子と姫を救出するよう頼まれる。 もちろんこちらの頼みも、ミッション・コンプリートならず。ということで、西部劇の世界に飛ばされたと思ったら、意外な事実を経て、次々と新たな世界に行くことになる。まるで、おもちゃ箱をひっくり返したような展開が、楽しくてたまらないのだ。 一方で、古泉・長門・キョンの三人が、この世界は何なのかと検討するあたりから、SF味が増していく。そして、世界から脱出しようとする「エスケープ篇」は、もはやハードSFだ。理解できるかどうか焦っていたら、古泉のかみ砕いた説明が、実に分かりやすかった。SFとしての魅力も抜群なのだ。 さらにラスト近くで、キョンの「そろそろ帰ろうぜ。ここは俺たちがいていい場所じゃない」といわれたハルヒが、「そうね、もう充分楽しんだし、帰ったほうがよさそうね」という場面に留意したい。ああ、本書はファンタジーでお馴染みの“行きて帰りし物語”になっていたのか。そしてそれは、私たち読者も同様だ。物語の世界に行き、物語の終わりと共に現実に帰ってきたのだから。もっとハルヒの世界で遊んでいたかったという気持ちもあるが、言って詮無いことである。今はただ、次の新刊を待つのみだ。それが一年後くらいに実現することを、本気で祈っているのである。
細谷正充