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ハーレーの名車「XR1000」レース用バイク「ルシファーズハンマー」のテクノロジーを投影して開発された一台とは

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レースの世界で活躍するハーレーダビッドソン

 広大なアメリカ大陸で生まれたクルージング・マシン……一般的に多くの人々が『ハーレー・ダビッドソン』(以下:H-D)というオートバイにこんなイメージを持たれていると思いますが、過去に当サイトでお伝えしたことがあるように『レース』というフィールドで活躍する実績を誇るメーカーであることも、語られるべき事実です。 【画像】ハーレーの名車「XR1000」の画像を見る(6枚)  その中でも1970年代から2010年代にかけてAMA(アメリカン・モーターサイクリスト・アソシエーション/米国のレース団体)のダートトラック・シーンで活躍した『XR750』は、60年代後半には天才ライダー、ケニー・ロバーツ要するヤマハ、80年代から90年代にかけてはリッキー・グラハムやババ・ショバートが駆るホンダを向こうにまわし、タイトル争いを展開。  一時期、ジャパニーズ・バイクに王座を明け渡したことがあったものの、94年から2016年までは22年もの間、チャンピオンに君臨していました。この実績が『世界で最も成功したレーシングマシン』と呼ばれる所以なのですが、そのテクノロジーを惜しげもなく投入し、市販化に踏み切られた忘れられないモデルが『XR1000』です。    このようにダートトラックの世界で絶対的な実績を誇るH-Dですがロードレースの世界においても1967年に『KR-TT』を開発し、68~69年にはカル・レイボーンのライディングによってフロリダ州のデイトナ・スピードウェイで開催された米国を代表するレースである『デイトナ200』で優勝した過去を持つのですが、その後、復活の狼煙をあげるのが1983年に同サーキットで開催された『BOTT』。 『バトル・オブ・ザ・ツイン』と呼ばれるこのレースは『1000ccクラスの市販車・二気筒エンジンまで』というレギュレーションの元で開催されたのですが、まさにそこで闘うべくして生み出されたマシンが『XR1000』です。  XR1000はホモロゲーション(レース出場の認証)をクリアすべく1983年に1018台、翌年には759台のみが出荷されたいわゆる限定モデルなのですが、こうした部分も『レーシング・ハーレー』マニアの心を熱くするポイントであることは間違いないでしょう。

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