勇気ある表現者たちによる映画の存在証明 ー 映画「月」
実際の事件がなければ生まれなかった作品であるが、当然ながら、作品のために現実があるわけではない。だが、映画や小説といった創作物の存在価値のひとつに、「起きてしまったことを風化させないため」あるいは「時代を越え、検証しつづけるため」といった要素も含めるとするならば、この悲劇を「なかったこと」にはできない以上、勇気ある表現者らによってこの作品が生み出されたことに、非常に大きな意義があるはずだ。
当初、200館規模を想定して製作されたにもかかわらず、一時は公開さえも危ぶまれ、作品の高い評価とは裏腹に、現時点では隅々まで広く行き届いたとは言い難い「月」。観るか、観ないかの判断はもちろん鑑賞者の自由だが、今回のパッケージ化により「観たい」と希望する人たちの手元へ本作が確実に届き、〝表現〞のために身を晒してこの難しいテーマに挑んだ俳優陣の思いが報われることを切に願う。 文=渡邊玲子 制作=キネマ旬報社(「キネマ旬報」2024年9月号より転載)
キネマ旬報社