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「強くない、でも教えたい」南米ペルーで足掛け8年 日本人卓球コーチの奮闘記(中編)

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南米ペルーの地方都市モケグアをご存知だろうか。 おそらくほとんどの日本人は知らないだろう。 ペルーの首都リマから南東へバスで20時間ほどの場所にある、人口23万人ほどの地方都市である。 そこに卓球のコーチを生業とする日本人がいる。 渡辺拓也、30歳。ペルー生活8年目になる。 きっかけは23歳のとき。青年海外協力隊の卓球コーチとして、ペルーに派遣されたのだった。 【写真】渡辺氏が指導するペルーのジュニア選手の家族と

いきなりペルー代表のコーチとして派遣

――いざペルーに派遣となったのが2013年7月 渡辺:はい、ペルー卓球連盟の代表コーチとして派遣されて、活動が始まりました。 ――え、代表コーチですか? 渡辺:はい。僕はU-11代表とUー13代表を主に指導することになりました。当時ペルーの卓球連盟にはコーチが二人しかいなかったんで、僕を合わせて三人です。 ――ペルーの卓球のレベルってどれくらいなんですか 渡辺:日本と比べればまだまだです。極端な話、アンダー11のカテゴリーとかは、ツッツキと横回転サーブがそれなりにできれば代表入れるみたいな感じですね。 ――コーチ生活はどうでしたか 渡辺:最初の半年ほどは順調に指導できていました。でもあるとき、当時のペルーの卓球連盟会長と技術委員長が揉めて、そこからコーチが思うように指導ができない状態になってしまって。 JICAにも事情を伝え、任期2年のうちの残り半年くらいは、地上絵で有名なナスカ近くのイカという町からコーチのオファーを頂いて、そこに滞在して子どもたちへの卓球コーチをしていました。そこで教えてた何人かの子どもたちが選考会で勝って代表に入ることができたので、一区切りとして良かったなと。

再びペルーへ

――二年の協力隊の任期を終えた2015年6月、日本に帰国する。 渡辺:半年くらいは卓球をお休みしようかなと思ってました。でも、帰国して数ヶ月経ってもペルーの卓球している方がFacebookでメッセージくれたり、いつペルー来るんだ、また講習会やってくれみたいな、そういうのが自分が思ってた以上にあって。 あとは、ペルーに行く前はスペイン語も全然でしたけど、いつの間にかそこそこ話せるようになってて、それを活かして、今度は自分のやりたいことだけやりたいなと思って。翌年の2016年2月、ペルーにまた戻ることにしました。 ――でも、現地で自分で収入を得る必要がありますよね。不安はなかったですか。 渡辺:幸いなことに、ペルーに戻ってすぐに、色んなクラブチームとかアドバイザーとかでお仕事貰ったりとか、JICAのボランティアの時に行けなかった地方に行って講習会とかやらせてもらったりとか。その中の一つで、首都のリマから1,000キロくらい、バスで20時間ぐらいの、モケグアという町に滞在することになりました。 ――ペルーの卓球コーチで、生活できるものなんですか。 渡辺:物価が安いというのはあります。特にモケグアは。今借りてるアパートはワンルームマンションみたいな感じで家具が全部揃っててテレビとかビデオとか個人のシャワー、トイレとかあって、電気・Wifi・水道代込みで、日本円で家賃1万3千円とか。それでも高いって言われるくらい。でも、リマでも2LDKで3万しないぐらいだと思います。ただ、日本に比べて収入も下がっちゃいますね。ひと月の最低賃金が、日本円にすると3万円ぐらいなので。

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