「みんな初日で芸人への道を諦める」 元漫才師が語る“養成所で学ぶべきこと”
※この記事は漫才師として成功することを諦めた芸人が、漫才師を辞めるまでを振り返る連載の第4回です。 【画像】実際に通っていた養成所を見る 養成所に入って驚いたことがある。それは「全員が売れたくて売れたくて仕方ない」というモチベーションのヤツばかり「ではない」ということだ。 人力舎の養成所は、入学時に一括で1年分の学費を払うシステムとなっていて、途中で辞めてもそのお金が返ってくることはない。僕と相方のシンカワは途中で辞めるという選択肢が一切なく、自分で入学金を貯め、覚悟を決めて入ってきた世界だったので、授業をサボるという選択肢もなかった。 1年で吸収できるものすべて吸収しようと思っていたし、全員がそういうギラついた思いで入ってきているものだと思っていた。 しかし、現実は違った。 入学初日の授業はいわゆる「声出し」という授業で、狭い稽古場に50人超がぎゅうぎゅうになる中、1人ずつ立たされて「あ・い・う・え・お」の5音それぞれでバラバラの感情を表現したり、2人1組で相手に向かって「あいうえお」だけで口喧嘩をして感情を爆発させあったり、というものだった。 声がかれるほど「あいうえお」を連呼しあったが、人前で感情を「演技で」むき出しにする、ということはなかなか難しい。しかも初対面の芸人志望の人たちが「こいつは面白いのか?」という目線で見てくるので、ハートを強く持たないと耐えられない。 初日からいきなりハードな稽古だったが、僕にはとても新鮮で、人前に立って何かを表現するには感情表現を豊かにできないといけないのだと再確認できたので、充実した気持ちで2日目の授業を迎えた。 が、そこにいたのは半分ほどに減ったクラスメイト達だった。
●こんなに「やる気のない人間」がいるのか
ほとんどの人間が初日の授業で音を上げて「もう授業行かなくていいや」と思ったのだ。 後々講師の方に伺ったところ、初日の「声出し」はふるいにかける意味合いもあるそうで、人が少なければ少ないほど1人当たりの時間も取りやすいので教えやすく、またやる気のある人間の見極めにもなるという理由で「わざと」キツい稽古をするのだという。現に初日以降、その講師の方の授業で声がかれるほど叫ばされたり、人前でもっともっと感情を出せと延々叱咤されたりするような授業はなかった。 僕は日に日に人が少なくなっていく教室に驚き、そしてガッカリした。1年分の学費を払って、覚悟を決めて入ってきたのに「やる気のない人間」がいるのか、と。周りがそんな意識の低い連中なのだとしたら「なんかチョロくねえか」とまで思ってしまい、少し熱が冷めたのを覚えている。 それはシンカワも同じだったようで、途中で辞めていく同期たちを思い「同じ志で入ってきているはずなのにな」と落ち込んでいた。それでも自分たちのモチベーションを落としてしまうのは良くないし、ライバルが減ることで講師の方々から自分たちが教えてもらえる時間が多くなるというのは好都合でしかなかったので、自分たちのことだけを考えるよう切り替えた。 僕たちが学んでいたときのネタ見せは、必ず講師と生徒が一緒に見る形式で、ライブ前の「強制イベント」と、ライブ前でなくても志願して見てもらえる「任意イベント」があった。 1年通って人力舎に所属することができた僕から言わせてもらうと、重要なのは絶対に「任意イベント」の方である。任意イベントは「威嚇」になるからだ。 ライブ前のネタ見せで披露するものは暗黙の了解で「新ネタ」でないといけない、という空気があったため、任意イベントで見てもらうネタをブラッシュアップしても披露する機会はない。それでも披露する理由は、同期に「俺たちはこれくらい面白いんだぞ」というのを見せるのが目的でもあった。 その任意のネタ見せの頻度が多ければ多いほど、そのネタが面白ければ面白いほど、周りに与えるプレッシャーは大きい。 クラスの中で存在感を見せることができれば、ライブのMCや企画のコーナーなどで主導権を握れるようになり、最終的に人力舎に所属できるかどうかというのを判断するライブでアピールする場も多くなるのだ。 養成所で相方を探す人もいる中、すでにコンビを組んで入ってきている僕らはネタをほかの人より早く作ってネタ見せできるという強みがあったが、任意ネタ見せに参加したのはクラスで一番最後だった。 周りから「早くお前らのネタ見たいよ」と何度も言われたし、僕らにはネタもあったが、最後まで待った。 焦りもある中、僕らは授業が始まって1カ月半ほどが過ぎたある日、満を持して講師にネタ見せを志願した。