秋元康でもつんく♂でも島田紳助でもない…テレビで最初にアイドルプロデュースを大成功させた意外な人物
■萩本欽一の番組優先主義がもたらした成果 曲のヒットは、番組にも多大な恩恵をもたらした。「ハイスクールララバイ」がオリコンシングルチャート1位を獲得した翌週に、『欽ドン!』は初めて視聴率30%の大台を突破した。歌番組でイモ欽トリオを見てファンになった若い世代にも、番組を見るひとが増えたのである。 バラエティ番組の出演者が出すレコードを「企画もの」と呼んだりするが、その言いかたにはちょっとした軽いお遊び、つまり本気ではないというニュアンスが込められている。だが「ハイスクールララバイ」は、「企画もの」でありながらその域をはるかに超えていた。 松本隆や細野晴臣といった一流の音楽スタッフがかかわったということもあるが、元をただせば萩本欽一の“番組優先主義”が、単なる曲のヒットだけで終わらせない相乗効果を生んでいた。その点がまず、萩本のアイドルプロデューサーとしての特色だろう。 ---------- 太田 省一(おおた・しょういち) 社会学者 1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。 ----------
社会学者 太田 省一