がん克服復帰戦を劇的適時打で決めた阪神・原口文仁がヒーローインタビューで伝えきれなかったものとは?
1月24日、原口は自身のTwitterで大腸がんが検査で発覚したことを報告、チーム関係者やファンに衝撃を与えた。1月31日に手術を終えたが、復帰の見通しは立たず、2月のキャンプには参加できなかった。それでもベッドの上で原口は、この4か月後の1軍舞台より「もっと早い復帰をイメージしていた」という。 人間ドックによる早期発見に救われたが、日常生活への復帰ではなくアスリートとしてこんなにも早く復帰できたことは奇跡に近い。 なぜスピード復帰が可能に? 「僕の中では常に前向きに。こうしてね、結果を出すことをイメージしながら日々を過ごしてきました。その気持ちの部分で(復帰が)早くなったんじゃないんですか」 前日に新幹線で千葉に移動。この日、1軍登録された。 「若干、緊張はありましたが、これからの野球人生。リスタートだなあと思いながら今日を迎えたんです」 パの本拠地ゲームでDH制が採用される交流戦では投手への代打がないため代打の出番は限られてくる。この日も8回の木浪、近本、糸原と左が並ぶ打順に、もしロッテが左腕をぶつけてきたら木浪のところで代打があったかもしれないが、右腕だったため矢野監督は動かなかった。代打があるとすれば、3三振とタイミングの合っていなかった中谷の打順しかなかった。9回の攻撃がマルテ、梅野、高山の3人で終わっていれば、復帰舞台は明日以降に持ち越されていただろう。だが、マルテが特大の一発、梅野が四球で歩き打線をつないだ。 矢野監督が言う。 「野球の神様というとおおげさだけど、ふみ(原口文仁)の今までの頑張りに対して、みんなが舞台を作ってくれて、ふみ自身が結果を出した。すべてがドラマか映画のような感じだった」 “矢野ガッツ”に象徴されるチームの勢いが運命的な原口の復帰舞台を演出したのかもしれない。 原口は、1軍に合流すると矢野監督に「チームはいい雰囲気でやっているから、その波に乗って頑張って行こう」と言われた。 「選手ひとりひとりに監督、コーチが凄く元気を出して盛り上げてくれる。そこに急に入って、ついていけるか心配だったのですが、なんとかいけるような気がします」 矢野監督は原口のツーベースにもガッツポーズをしていた。 “生・矢野ガッツ”を見たか?と聞かれ「余裕がなくて見れていないんですよ」と言って笑った。