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「山奥ニート」のリアル#4 田舎の激安物件でシェアハウスを始めたい人へ

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本がすき。

和歌山県の限界集落で集団生活を営む「山奥ニート」。 集落のお爺さんやお婆さんのお手伝いなどをしてお小遣いを稼ぎ、なるべく働かずに生きていくことを実現した彼らの暮らしを、『「山奥ニート」やってます。』(石井あらた著・光文社)から全12回にわたって紹介します。

山奥ニートは一種のシェアハウスだ。 現在、住人は15人。年齢は10~30代。 いつの間にか、こんなに増えていた。 今のところ、1人に1部屋、それぞれ個室がある。 まぁ、使っていない台所や、脱衣所や、床が抜けた部屋に住んでいる人もいるから、個室と呼んでいいのかは微妙なところだけど。 山奥ニートは3軒の建物に住んでいる。 住んでいる人数は以下の通り。 1.小学校の分校だった木造平屋に10人 2.そのすぐ隣の、職員宿舎だった2階建ての家に4人 3.同じ集落内に借りた一軒家に1人 1の建物は、小学校として使われていただけあって、かなり広い。リビングは40畳くらいあるのかな。 10人以上で集まっても、十分くつろぐ余裕がある。 そこに、ごはんを食べるためのテーブルが2つに、こたつが2つに、ソファが3つ。部屋の北壁はキッチンになっている。 ここが山奥ニートのメインの場所。 誰かとしゃべりたいと思った山奥ニートたちは、ここに集まってテレビや映画を見たり、ゲームで遊んだりする。 東側から延びる廊下を挟んで、畳敷きの個室が7つ。 その奥には風呂とトイレ。トイレは小便器1つに、個室が2つ。 西側には広めの1部屋と、今は使ってない台所と風呂がある。 ここにもそれぞれ1人ずつ住んでいる。ニートにとって、部屋は布団を敷くスペースさえあればOK。立って半畳寝て1畳、それだけあれば十分さ。 ちなみにどんな部屋でも1ヶ月に払う家賃は変わらない。 というのも、ここに住む場合、家賃はゼロ円。無料だ。 東京でこの広さの家を借りたら、1ヶ月いくらするんだろう。場所によっては、百万円じゃ足りないかもしれない。家賃というのは一体なんなんだ。眠るためだけなのに、お金がかかる。これが人権侵害でなく、なんだと言うんだ。 家賃は収入の3分の1が妥当、なんて言葉を聞いたことがある。なんだそりゃ。 つまり、労働時間の3分の1は、家賃を払うためにある。週5勤務なら、月曜と火曜は寝所の確保のためだけに働かなきゃいけない。 でも山奥ならタダ。 考えようによっちゃ、月に百万円の儲けがあるのと同じだ。 僕らはニートだけど、山奥に住むことによって、部分的には都会のセレブに似た生活を送っている。 物理的な広さは、そのまま精神的な余裕に繋がる。 都会はあんなに人と人との距離が近くて、どうしてみんな平気なのだろう。 電車に乗っていると、隣の人と体が密着する。 どんな人かも、何をしているかもわからない人なのに、体が触れ合う。 それに対して何も思わないのは、それが人間だと思っていないからだ。 隣にあるのは、ただの生温かい物体なんだって。 そうじゃなきゃ気持ち悪くてやってらんないよ。 ここでは人との適度な距離を保てる。 だから、ちゃんと他者を人間として認められるのかもしれない。 広いというのはそれだけで多大な可能性がある。 リビングに人が集まっていても、部屋の中で3つくらいのグループに分かれることができる。 そうなると、自分が興味のある話をしているグループに入ることができる。そして、他のグループの話が面白そうだったら、そっちに鞍替えすることもできる。話すのに飽きたら、部屋の隅に行けばいい。 しゃべってもいいし、しゃべらなくてもいい。自分の加わりたい会話にだけ入る。 これがとても居心地がいい。 この感じは、ツイッターに似ていると思う。 タイムラインに流れる話題に乗ってもいいし、無視してもいい。 一度、東京の下町の、常連ばかりが集まっている喫茶店に入ってしまったことがあるけど、そこの雰囲気もよく似ていた。 適度な距離感がありながらも、危険を感じない空間だ。 グループという言葉を使ったけど、完全に固定化されているわけじゃない。グループというよりは、山奥の住人の間でいくつかの部活があるような感じに近い。 たとえば、ゲームが好きな人が集まったゲーム部だったり、体を動かすのが好きな運動部だったり。 普段はその「部活」に参加しないけど、なんとなく参加したい気分の日だったり、特定の自分が好きなことの場合はふらっと加わったりする。僕は運動は苦手だけど、卓球は得意だ。 そういった気まぐれは、いつも歓迎される。 誰しも、同好の士を増やしたいもんだ。 そんな感じの、ゆるい繋がりの中、みんな暮らしている。 ただ、仲が良い、と単純に言ってしまうのは少し違う気がする。 友達と呼べるほど、親しい間柄ではない。 住人から連帯保証人になってくれと頼まれたら、絶対なりたくない。 かといって、赤の他人ってほど警戒しているわけでもない。 ホッブズやルソーが言った「自然状態」って奴に近いのかもしれない。 みんなで一致団結して行動する必要が今のところないから、社会契約を結ぶ必要がない。 それぞれが自由な意思を持ち、自己で完結している。 法がないから、負担は平等ではないけど、その代わり争いもない。 ただ、自分が困らない範囲では、手を貸したいと皆思ってるんじゃないかな。 誰かにやさしくしたら、自分の評判が上がってリターンが返ってくるかもしれないし。情けは人の為ならず、だ。 こういう「自然状態」は人間の心情が豊かになっていくにつれ、徐々に崩れていくものらしい。 僕らも、明文化されたルールはないけど、長く住んでいるにつれて暗黙の了解みたいなものは形成されてきた。 いくつか挙げてみると、こんな感じ。 ・自分が使った食器はすぐに自分で洗う ・月に数回、夕食を作る ・半年に一度、全員で大掃除する ・集落の行事には参加する 他にもいくつかあるだろうけど、ぱっと思いつくのはこんなところ。 これらは誰かがそうしようと言ったわけではなく、自然発生的に、気がついたらみんながそうするようになっていた。 少人数のコミュニティなら、ルールをきっちり決めないほうがいいんじゃないかと思う。ルールを明文化してしまうと、それを守っているだけで義務を果たしたかのように思われてしまう。 山奥ではルールが曖昧な分、みんながある意味、遠慮している。この広い家に、無料で住めることを全員が多かれ少なかれ感謝しているんだと思う。家賃が無料なんだから、家事くらいして当然、そんな共通認識があるんじゃないかな。 これは僕らが全員定職に就いていないから、というのもあると思う。 仕事をしたら、それだけで疲れてしまって、他の人に気を回す余裕がなくなってしまう。 実際、僕らもたまに仕事が舞い込んで、連日働きに出るときは、いつもよりギスギスした空気になる。 ルールを決めないまま平和に暮らせているのは、僕らが暇だからなんだと思う。 世界中の全員が暇だったら、戦争は起こらないんじゃないかな。 最後にもうひとつ、喧嘩がほとんど起こらないもうひとつの理由として、僕はここが人里から離れた山奥であることが関係してるんじゃないかと思う。 こんな辺鄙な場所に来るというのは、やっぱり普通の感覚じゃない。 僕らは赤の他人だけど、どこか共通する価値観を持っているんじゃないかと思う。 それに、山奥ニートになるためには、通過儀礼もちゃんとある。 どこかの民族は仲間の一員として認められるために、死の危険があるバンジージャンプをしなきゃならないらしい。 山奥ニートの家に来るためには、いつ終わるともしれない長い長い山道を通ってこなけりゃならない。 ここに来た人の多くは、よく言う。 「このままどこにも着かないんじゃないかと思った」って。 人智が及ばない森を抜けて、ここまで来るのは一種の臨死体験なんじゃないかと思う。 僕は今でも、最後のカーブを曲がったあと、我が家の赤い屋根が見えると、ほっとする。 ああ、よかった。まだあった。 遠くから見た僕らの家は、背後にこんもりと広がる山からしたら、本当に小さな存在だ。この山が身震いひとつしただけで、土砂と倒木の洪水に流されてしまう。 山奥に住んでいると、どうしても自然を意識せざるを得ない。 この自然という絶対に敵わない相手がいるから、山奥ニートの中では喧嘩がほとんど起こらないんじゃないか。そう思う。

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