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「もう、君たち解散したら」 社長のひと言であっさり「レイジー」終結

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NIKKEI STYLE

《連載》仕事人秘録 バンダイナムコアーツ 副社長 井上俊次氏(9)

市場規模が膨らんだ「アニメソング(アニソン)」ビジネスの立役者の一人がバンダイナムコアーツの井上俊次副社長です。1970年代にロックバンド「レイジー」で一世を風靡しました。井上氏の「仕事人秘録」の第9回では、レイジーが解散に至ったいきさつを明かします。 【写真でふりかえる】レイジーのあゆみ

バンド人気もピークを過ぎ、アイドル路線への疑問が強くなっていた。

「君たち、本当はどんな音楽がやりたいんだ」。事務所の紹介でプロデューサーに就いたのは、後に作家になる伊集院静さん。「ハードロックがやりたいです」。ぼくたちの答えは明快でした。「やってみればいいじゃないか」。箱根のロックウェルスタジオに籠もり、本来のハードロック回帰を狙ったアルバムの制作に取りかかりました。 雑誌の取材でも「ロックがやりたい」と公言して平気でたばこも吸うようになりました。1980年7月からの全国ツアーでは「アイドル路線はもう終わり」と「ヘヴィ・メタル宣言」。最年長でリーダーの樋口(宗孝)さんは事務所の藤田浩一社長と衝突して解雇騒動も起きました。最後は「勝手にしろ!」。アルバムのレコーディングにスタッフが誰も来なくなりました。見放されてしまったのです。

80年12月、レイジーはアルバム「宇宙船地球号」を発売。収録曲のほとんどを高崎晃氏らメンバーが作曲。伊集院氏も「伊達歩」名義で作詞に参加した。日本のロックファンが名盤に数える1枚だ。

5人が各自の音楽を突き詰める経験をしたことで、メンバーの方向性の違いがはっきりしました。たっかん(高崎氏)と樋口さんはさらに激しさを追求したい。景山(影山ヒロノブ)君はソロ。私は「アダルト・オリエンテッド・ロック(AOR)」に傾倒していました。デヴィット・フォスターが所属した米ロックバンドのエアプレイのレコードを聴いて「これだ!」と直感したのです。「その時」は迫っていました。 「もうさ、君たち解散したらいいじゃない」。81年の年明け早々、そう切り出したのは藤田社長でした。メンバー間で音楽性の違いがはっきりしていたぼくらもあっさり承諾。2月18日に予定した景山君のバースデーライブを解散発表の日と決めました。 デビューのチャンスを与えてくれたかまやつひろし(ムッシュかまやつ)さんには報告しなければなりません。解散発表の前夜、大阪にかまやつさんを訪ねました。「ぼくたち、解散します」。かまやつさんは「うーん」とうなって、何も言ってくれません。おもむろに口を開いて「ディスコに行こうか」。なぜかディスコで踊り狂いました。 翌日、東京の調布市グリーンホールでレイジー解散を発表しました。 解散ラストライブは5月31日の名古屋公演です。ラストライブの最後、曲終わりにドラムやギターを鳴らして盛り上げる「かき回し」がなかなか終わらない。みんな終わらせたくないから、20分くらい続けたのではないでしょうか。ライブ後は5人で飲み明かして「みんな元気でな」。それっきりです。ラウドネスを結成したたっかんと樋口さんの2人やソロ活動に入った景山君とは何年も会うことはありませんでした。 [日経産業新聞 2018年7月31日付]

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