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岸部四郎、マモル・マヌーともに71歳の死…「GSブーム」とは何だったのか

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現代ビジネス

 9月16日、元ザ・タイガースのメンバーでタレントの岸部四郎が、8月28日、拡張型心筋症による急性心不全のため、千葉県内の病院で死去していたことが報道された。同月12日には、元ザ・ゴールデン・カップスのマモル・マヌーが、9月1日に心筋梗塞のために急逝したという悲報が入っていた。 【写真】秘蔵写真で振り返る、ザ・タイガース&ザ・ゴールデン・カップス  ともに71歳という若さだった。  GS(グループ・サウンズ)ブームの頂点を極めたザ・タイガース、そして通好みと言われたザ・ゴールデン・カップスは、ブームを牽引した代表的なグループであった。

日本におけるバンドスタイルの原型

 1967年から1969年にかけて、日本の音楽シーンにはGSという一大ブームが巻き起こった。これはエレキギターやエレキベースなどの電気楽器、ドラムという編成で演奏する4~6人のグループのこと。今では当たり前になったバンドスタイルの日本における原型といえるものだった。  当時注目された欧米のベンチャーズ、ビートルズ、ローリング・ストーンズなどの影響とされ、次々と新たなグループが誕生し、十代の若い女性を中心に熱狂的なファンが急増した。また、長髪やエレキギターなどが不良、非行に結びつけられ、一般社会や学校などの風当たりも強かった。中には、コンサートに行った生徒には、停学または退学処分を下される学校もあり、ある種の社会問題とまで言われた。  初期には、田辺昭知とザ・スパイダース(堺正章、井上順、かまやつひろしなどが在籍)、ジャッキー吉川とブルーコメッツなどが人気を集め、ブームの中期から後期には、ザ・タイガース、ザ・テンプターズ、オックスなどが人気GSとなり、絶頂を極めた。  また一方で、ブルージーなロックやR&Bをレパートリーとしていたザ・ゴールデン・カップスやザ・カーナビーツなども、音楽好きのファンから絶大な人気を集めた。

脱退したザ・タイガースメンバーの後釜に

 岸部四郎が、GSのメンバーだったことを知らない人も多いだろう。  彼が「岸部シロー」として知名度を高めたのは、ザ・タイガースの解散後である。 司会や俳優として幅広く活躍し、84年からは日本テレビ系「ルックルックこんにちは」の司会を13年半にわたって務めている(98年に自己破産により降板。94年渡辺プロダクションから独立を機に「シロー」から本名の「四郎」に改名)。  彼がザ・タイガースに加入したのは、グループ存続の危機を回避するためだった。 ザ・タイガースの原型は、1965年に京都で結成された「サリーとプレイボーイズ」。 メンバーは、瞳みのる(愛称はピー)、岸部修三(岸部一徳・サリー)、森本太郎(タロー)、加橋かつみ(トッポ)の4人で、その後別のバンドにいた沢田研二(ジュリー)を勧誘し、バンド名も「ファニーズ」に改名。  66年には上京し、渡辺プロダクション(現・ワタナベ・エンターテインメント)の所属となり、「ザ・タイガース」と命名され(関西から来たから「タイガース」というのが理由だった)、67年「僕のマリー」でデビュー。徐々に人気が上昇し、セカンド・シングル「シーサイド・バウンド」が大ヒット。また、「シャボン玉ホリデー」などのテレビ出演で人気は加速し、ファンは低年齢層にも広がった。  その後も、68年には「君だけに愛を」、「花の首飾り」、「シー・シー・シー」などの大ヒットを飛ばし、渡辺プロによるアイドル的な売り出しによって幅広い人気を集め、GSブームの頂点を極めたのだ。  しかし、アイドル性を前面にしたプロモーションにメンバーの不満が募り、69年3月、メンバーの中でも特に繊細で芸術家肌だった加橋かつみが脱退。急遽、アメリカに滞在していた岸部の弟・四郎(シロー)が呼ばれ、加橋の後釜としてグループに加入させられたのだ。それから71年の日本武道館での解散コンサートまでメンバーを務めたのである。  ここに一冊の本がある。  タイトルは『ザ・タイガース 日本の青春』。これは、ザ・タイガースの結成以前から、71年の解散までをメンバーの証言を集めて構成された貴重な本である。  バンドを目指した京都の十代の若者たちが、GSブームのトップに駆け登り、そして様々な軋轢の中で解散へと向かっていく状況が赤裸々な証言で明らかにされている。

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