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日本武道館の入り口は江戸城最古の現存建造物だ──東京にみつける江戸 第10回

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GQ JAPAN

武道館の正門ではない

前回紹介した清水門は、江戸城北の丸への出入り口のひとつだった。そして北の丸には、雁木坂を上りきった右側に、幕末までは徳川御三卿のひとつである清水徳川家の上屋敷が、その西側には同じく田安徳川家の上屋敷があった。ちなみに、江戸中期に徳川一族から分家した御三卿は、御三家に次ぐ格を誇る家で、将軍に後継ぎがいないときはそれを出せる資格があった。 【写真を見る】北の丸周辺を散策する 当初、北の丸には徳川家の親族の屋敷が置かれ、たとえば三代将軍家光の時代には、三男で甲府藩主になる綱重(六代将軍家宣の父)や、家光の乳母の春日局、家光の弟の駿河大納言忠長らの屋敷が並んでいたが、明暦の大火で消失。その後、しばらく火除け地になっていたが、1731(享保16)年、八代将軍吉宗の次男、宗武が起こした田安家の上屋敷が、1759(宝暦9)年には、九代将軍家重の次男、重好が起こした清水徳川家の上屋敷が置かれた。ともに家名は、屋敷近くにある門の名からとったという。一方、北の丸の南半分は、その後も建物の密集を避けるため、火除け地に近い状態で残された。 北の丸一帯は明治期に近衛師団が設置されたこともあり、これらの屋敷を忍ばせるものは残っていないが、日本武道館が建つあたりが清水家上屋敷の北部だった。ただし、その北側にある田安門は、武道館の正門のように思われているが、れっきとした江戸城の城門である。それどころか、高麗門の扉釣金具の刻銘から、寛永13(1636)年に建てられたと考えられている。江戸城はこの年、外堀で囲まれた外郭までがいちおうの完成を見せた。田安門はその当時から残る数少ない建造物で、明暦の大火でも焼失せず、いまに伝わっているのだ。 武道館から向かうと、まず二ノ門である櫓門がある。それを抜けると、清水門より大きな枡形の空間が広がり、かぎ状に左に曲がったところに高麗門がある。ともに国の重要文化財に指定されているが、櫓門上の渡櫓は大正末から昭和初期にかけて撤去されていたのを、昭和36~41年の工事で復旧したものだ。

文・香原斗志

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