ホンダが社長交代、三部新社長は「負けん気と尖った個性」で攻めに転じるか
● ホンダがトップ人事を発表 ホンダ(本田技研工業)は、三部(みべ)敏宏専務・本田技術研究所社長が社長に昇格するトップ人事を発表した。 ホンダのトップ交代は6年ぶりとなるが、異例なのは6月の株主総会を待たずに4月1日付けで三部専務が社長に就任することだ。かねて次期社長の「本命中の本命」と目されていた三部ホンダ新社長の登場は「ホンダ本流回帰」であるとともに、激動の自動車業界において、今後は「攻め」に転じるための経営姿勢・戦略の構築を急ぐことになりそうだ。 19日に都内で開いたホンダ社長交代会見で、三部専務は「激動の時代に存在感のあるホンダへ、外部の知見とアライアンス(提携)にチャレンジしていく。ホンダ全体が大きな転換とスピードが求められる」とホンダの新たな方向を力強く語った。 筆者は、2016年にホンダが「FCVクラリティフューエルセル」のリース販売開始発表会見を開いた際に、八郷社長とともに壇上に立った当時の三部執行役員が「ホンダの次のエース」だと聞いていた。 海外メガサプライヤーの日本法人トップからも「八郷さんの後の三部さんは外の人間の声もよく聞く人だ」との声もあり、2~3年前から次のホンダトップを確信していた。 本田宗一郎創業社長から川島喜好2代目社長への交代以来、ホンダのトップ交代を見続けてきた筆者にとって、「ホンダらしさの復活」が期待できるトップ登場なのだ。
● 自他ともに認めるホンダのエース 三部敏宏氏は1987年にホンダに入社。本田技術研究所でエンジン開発・研究に携わり、2012年本田技術研究所常務執行役員、2014年ホンダ本体の執行役員を兼務、2019年ホンダ常務役員兼本田技術研究所社長のキャリアで1961年生れの59歳。ホンダ9代目の社長となる。 社長交代会見では、自らを「安定の時代よりも激動の時代に向いており、重責だがワクワクしている。プレッシャーには強い」と自らを“激動の時代”に向いた人間であると分析。 「今年に入ってすぐに八郷から『社長に』と言われ、いよいよ来たかと…。『攻めに転じるのはお前がやれ』ということで『わかりました』と即答した」と語った。 自他ともに認めるホンダのエースだった。 これは創業者の本田宗一郎氏以来のホンダトップの「負けん気」と「尖った個性」を引き継ぐもので、いわば「ホンダ本流回帰の新トップ登場」といえよう。 ● ダークホースだった八郷隆弘現社長 もっとも、ホンダが置かれている現状を見ると、多くの経営課題が山積している。 かつては、電機のソニーと並んで「世界のホンダ」と呼ばれるほど強力なブランド力を持ち、創業者本田宗一郎氏以来、「チャレンジングな企業、ホンダ」というイメージを誇示していた。それがいまや、すっかり影を潜めており、「元気がない企業、ホンダ」との見方が浸透してしまっているほどだ。 八郷ホンダ体制がスタートしたのは、2015年6月。伊東前社長から八郷社長への交代内定会見があったのが、ちょうど6年前の2015年3月23日だった。 世界6極で四輪車600万台体制へグローバル拡大戦略を進めた伊東体制から社長を引き継いだのは、ダークホースだった八郷隆弘現社長であり、「調整型のチームHONDA」という経営姿勢を強調したのを思い出す。 結果的に八郷ホンダ体制でのこの6年間は、伊東拡大路線の修正に追われた観がある。八郷社長も今回の交代会見で「6年間は『選択と集中』に追われた。CASE・MaaSへの対応にコロナ禍、自然災害なども重なり、かじ取りの難しい6年だった。だが、本田技術研究所体制転換など仕込み・準備は揃ったので、バトンを三部新社長に引き継いで花を咲かせてもらう」と語っている。