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山口県の神社に残る出征兵士の写真 熊本県関係22枚を家族の元へ

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KKT熊本県民テレビ

神社に奉納された出征兵士の写真

7日、山口県の神社が出征兵士の写真を家族の元に返そうとしているというニュースをお伝えした。 そして熊本県出身の兵士の写真も22枚があるとお伝えしたが,そのうち写真8枚に写った兵士9人の方のご家族が見つかった。 写真に写っていた兵士の戦争そして戦後とは。

熊本県関係の兵士の写真は22枚

山口県山口市の三坂神社は日清・日露戦争のとき、氏子が全員無事に帰ってきたということで「弾除け神社」として知られるようになった。 そして太平洋戦争当時、全国から約2万枚の写真が奉納された。戦争が終わって、神社は今も写真の返還を続けている。 KKTでは今月7日、熊本県の住所が書かれた写真22枚を紹介した。

奉納写真の兵士の家族見つかる

そして写真のご家族が見つかりこのうちの2枚上益城郡大島村、今の嘉島町の西田重規さんと西田三五郎さんのご家族に会いに行った。 重規さんの長男の妻西田良子さん(82)とその息子の良一さん(59)だ。 重規さんと三五郎さんは兄弟だった。 良一さんは「終戦記念日を迎える前で、お盆でもあるしこういった時期に帰って来られたと思うと何か感慨無量なところがあるし誇りにも思う」と喜んだ。

出征兵士の戦争と戦後

重規さんは農機具の販売会社に務めていたが、満州事変のころ、陸軍に召集されたということで、15年もの間、中国大陸での戦線にいた。 戦後、熊本に帰ってからは自分で会社を経営し91年の人生を全うした。 重規さんは、戦争中のことをあまり語らなかったそうだが脚には銃弾を受けた傷があったという。 良一さんは叔母から聞いた話として「一緒に風呂に入っていた時に脚にビー玉ぐらいの穴が開いていた。『おとうさん、これ何?』と聞いたが黙っていた。後で母親に聞いたら戦争の傷跡ということを聞かされた』」とのエピソードを語った。

弟は開戦直後に23歳で戦死

そして重規さんの弟三五郎さんは、学校を出た後海軍を志願し、開戦直後、太平洋上のウエーク島の戦いで命を落とした。 23歳だった。 良子さんは義理の祖母の話として「(戦地に)出て行く時は親にも別れに来たようで『行きます』ていうて出て行った。 ばあちゃんがそう言っていた。帰るつもりじゃなかったな。『行ってきます』じゃない『行きます』と出て行ったて」と話した。 良一さんは、写真を奉納したのは三五郎さんではないかと推測している。 良一さんは「海軍を志願して、最後は呉を出港したから、そういった意味では三五郎さんが山口県の方へ行かれて、二人の写真を出したんじゃないのかな」と話す。 三五郎さんの遺書は「わが身は太平洋に沈めども大和魂は断じて消えず家の繁栄を祈る」と締めくくってあった。

「写真に魂が込められている」

良一さんは「この写真自体に魂が込められてると思ってるから本当に三坂神社の宮司さんには感謝するとともに大切に西田家で保管していくということを誓いたい」と話した。

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