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近年ミュージカルでも大人気 新選組のイケメン「土方歳三」の遺体はなぜ発見されなかったのか

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アーバン ライフ メトロ

遺体の行方を巡るいくつもの説

「蟠龍(ばんりゅう)、敵数艦ト砲台ニ相応シテ戦フ、朝陽艦ヲ砲砕ス。海ニ轟キ雷ノ如シ。炎焔ハ天ニ漲ル。我カ軍皆、快ヲ叫ブ。歳三大喝シテ曰ク、『此機失フヘカラス、士官隊ニ令シテ速ヤカニ進メ、然(しか)シ敗兵卒ニ用ヒ難シ。吾、此柵(一本木)ニ在リテ退者ヲ斬(き)ル。子(大野)卒ヲ率テ戦ヘ』」  味方の蟠龍艦が敵艦を爆砕したとき、歳三は大野に進撃を命じるとともに、逃げる者がいたら、歳三が関門にいてこれを斬ると叫ぶのです。  文章をもう少しかみ砕いて続けます。  ところが兵卒が「退路を断たれた」と言って逃げ出し、勢いが止まらない。歳三が関門にいて斬るはずなのに、と思い、関門を見ると、歳三の姿は見えない。  後になって「始メテ奉行(歳三)ガ馬ニ跨(またが)リ柵側ニ在リ、狙撃サレテ死スルヲ知ル」のです。  地元に残る話は、腹部を撃たれて落馬した歳三は、同志の相馬主計(そうま とのも)と島田魁(しまだ かい)に両脇を抱えられ、400mほど離れた農家の納屋に運ばれ、応急手当てを施されましたが、夕方近く、同志の呼びかけに「すまんのう」と応えて息を引き取った、というものです。  最大の謎は、華々しい戦死だったのに遺体の行方が判然としないことです。  伝えられているのは函館の、五稜郭内の松の木の下説、碧血碑(へきけつひ)そば説、七重(ななえ、七飯)の閻魔(えんま)堂説、函館・神山町の大円寺の無縁塚説。  それに、東京・日野の金剛寺の過去帳に記されている「箱館浄土宗称名寺(しょうみょうじ)石碑之有」から、函館の称名寺説など。  だが、いまだに見つからないのです。なぜでしょうか。

ミステリアスさが人気を後押し

 新政府軍の目を欺(あざむ)こうとしたため、と筆者(合田一道。ノンフィクション作家)は推理しています。  実は、箱館戦争終結直後の新政府軍による賊軍狩りは熾烈(しれつ)を極めました。旧幕兵をかくまっているといううわさだけで、その家の女性までが脅かされ、鼻や耳を刀でそがれたといいます。  そのため真夏でも、鼻を隠すマスクをしたり、髪を増やして耳を隠したりする人がいたそうです。  歳三は新政府軍にもっともにらまれていた人物ですから、遺体が見つかったらどんな仕打ちを受けるかと、ひたすら隠し続けたのでしょう。  歳三の馬の世話役で、遺体を運んだ少年は、時代が大正になっても、最後まで口を割らなかったといいます。これは少年の晩年を知る、筆者の老知人の話です。  ですから、遺体はどこにあるのか、判然としないままです。でもそれがまたミステリアスな歳三の側面を描写していて、人気を盛り立てているのかもしれませんね。

合田一道(ノンフィクション作家)

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