赴任した学校は「ブラック職場」。拒食症になり、逃げた先に待っていた悪魔
くじは当たらず、人生の選択は裏目に出てばかり。 それでも強く生きてきたんです――(「読者体験手記」より) * * * * * * * ◆学校にはいい思い出がない 人生の5割はツイていないが、残り半分はツイている、と聞いたことがある。だが、私の場合、どうしたことか8割くらいはツイていない。 中学校では学級委員長をしたばっかりに「いい気になっている」と陰口をたたかれ、クラス中から無視された。心配してくれた先生に相談したら、「チクった」といじめはエスカレート。委員長などしなければよかった、先生をあてにしてはいけないと思った。 高校は志望校に合格し、中学のいじめを忘れたくて、ボーイッシュなショートヘアにイメチェンした。ところが、同じクラスの女子と仲良く歩いているのを見た先輩から「1年がいい気になってんじゃねえ」となじられることに。カップルと思われたらしい。女子にはほど遠いと言われたようで、悔しかった。 成績が芳しくなかったので、仕方なく偏差値の低い大学の教育学部に進学する。4年で教育実習に行ったら、担当のクラスは学級崩壊。しかも担任教師は休みがちで、実習生の私がクラスを束ねねばならなかった。最終日はお別れ会を開くのが通例だったが、担任から、「子どもたちが、お別れ会はしたくないって」とにやにやして言われる。ショックのあまり控え室で泣いた。後でクラスの子から、「先生にプレゼントを準備して待っていたのに」と言われた。担任にだまされたのだ。あんなヤツが指導教員だとは、なんてツイてないんだろうと思った。
◆もう逃げるしかないと、結婚した相手は 県の採用試験に受かり、中学の音楽教員になった。でも生徒は言うことを聞かず、授業にならない。バレー部の顧問になったため土日も休みなし。今でいうブラック職場だ。日曜日は中年の男性コーチと一緒に練習試合の引率をする。試合後の反省会と称した飲み会で危うくコーチにキスされそうになり、とっさに逃げ帰った。 数年後、県下一、荒れている学校に飛ばされたら、歓迎会で酔った体格のいい男性教師に抱きつかれ、尾てい骨をしたたか打って2週間も休むはめに。ようやく復帰したらクラスはめちゃくちゃになっていた。警察のお世話になる生徒もいるような学校のなかでも1、2を争う荒れたクラス。私は食事がのどを通らず、拒食症になった。 もう逃げるしかない。そう思ってお見合いし、寿退職。他県で父親の会社を手伝う男性と結婚したが、この相手が悪かった。お見合いの釣書にあった経歴は詐称。社長である義父に「息子に月給100万出すぞ」と大ぼら吹かれたが、実際は月収10万円。生活のため内職をしてしのぐ。せめてもの救いは、内職がやりがいのあるものであったこと。友だちもできた。 しかし夫はつくづく嫌なヤツだった。あるとき、急にお腹が痛み出した私は、尋常ならぬ痛みに立ち上がれなくなった。脂汗を流し、「救急車を呼んでください」と懇願すると、夫はいやいやダイヤルを回し、「これで満足かい?」。救急車の中で手を握りしめてくれたのは救急隊員で、夫は見向きもしなかった。「あと2時間遅かったら、危なかったですよ」と緊急手術後に医師から言われる。左右の卵巣が腫れ、右の卵巣は破裂していた。体がむくむので手術前に結婚指輪を外すよう医師に告げられたが、再びはめることはなかった。幸せって人にしてもらうものではない、と目が覚めたのだ。こうして5年の結婚生活に終止符を打った。