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正義の追求は和解をもたらすのか――旧ユーゴ地域の「過去と向き合う」取り組みを探る

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Book Bang

1 はじめに

 拙著『争われる正義――旧ユーゴ地域の政党政治と移行期正義』(有斐閣、2019年)は、1990年代の凄惨な民族紛争が終結し、民主化が実現した2000年代以降の旧ユーゴスラビア(以下、旧ユーゴと略記する)地域において、紛争中の戦争犯罪行為に関する真相究明や責任者の訴追・裁判といった「移行期正義」の取り組みがどこまで進み、それが現地の人々に何をもたらしたのかを明らかにすることを試みた研究である。このエッセイでは、本書の執筆の背景や意図など、本書の本文やあとがきでは書ききれなかった点について、僭越ながら少しばかり語らせていただきたいと思う。

2 執筆の背景

 まずは執筆の背景から振り返ってみたい。本書のあとがきでも紹介した「旧ユーゴの敗戦後論を書いてみませんか」という言葉を出版社に勤務する知人からかけていただいたのは、記憶が定かでないが、確か2012年頃のことである。その時まだ筆者は、本書の土台となる科研費の研究(基盤研究C、「旧ユーゴスラビア諸国における移行期正義と和解」)の申請を検討している段階であった。そのことを話した訳でもないのに、そのような言葉をかけていただいたことが、その後も印象に残っていた。筆者が開始しようとしていた研究の成果が、「今も戦争責任の問題が議論される日本において、一般読者にとっても重要な関心事たり得るかもしれない」という考えは、この時かけていただいた言葉から生まれたものであった。  有難いことに筆者の科研費申請は採択され、2015年度から研究に着手した。実際に日本語の書籍として刊行することを検討し始めたのは、2016年頃であった。一般書として刊行することも検討はしてみたが、本書のように地味なテーマの書籍を一般読者向けの本として刊行するのはあまりにも無謀であるという至極当たり前の結論に達して、専門書としての刊行に切り替えたことは、本書のあとがきでも書かせていただいた通りである。  当時の筆者の状況を振り返ると、専門的な単著の原稿を執筆しようという発想は無謀にも近いものがあったが、だからこそ書かなければならないという強い思いがあった。2年間の在外研究を終えて2016年春に帰国した筆者は、その年の秋から大学院の行政を担当することになった。筆者が海外に行っている間に大学院改革の話が議論されていたことを認識せずに、深く考えずに引き受けたのがいけなかった。仕事を始めてみると、すぐに大きな改革の議論に巻き込まれ、想像をはるかに超える仕事量に、こなすのが精一杯の日々であった。そうこうして1年ほど経って、ふと頭に浮かんだのは、学部時代からの指導教授である伊東孝之先生が、いつだったか筆者に語った言葉である。  「学内行政は後には残らない仕事だが、その中に身を置くと、毎日の仕事をこなすことで満足するようになりがちである。そうならないように、くれぐれも気をつけなさい。」  その時は、そんなこともあるものかなという程度の気持ちで受け取った言葉であった。しかし、これはまさに今の自分ではないか。このままでは研究者として失格ではないか。そうならないためには、書くしかない、という思いが生じたのである。  そうは言っても生来怠惰な自分である。書こうという気持ちだけで書けるとは思えない。その時にちょうど学内で櫻田會の出版助成の応募の案内があったので、それを自分への圧力として使うことにした。応募には完成原稿の提出が必要で、その締め切りは2018年4月末。行政職の任期満了と重なるタイミングでの完成原稿提出はさすがに無理かと一時は諦めかけたものの、春休みの突貫工事でなんとか書き上げ、提出することができた。学術出版を取り巻く情勢が厳しい昨今、出版助成の存在がなければ原稿があったとしても出版は難しかっただろうが、筆者の場合には、このような状況であったので、出版助成の制度がなければそもそも原稿を書き上げることもできなかったのではないかと思う。そのような訳で、櫻田會の政治学術図書出版助成の制度には、二重の意味で深く感謝している。

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