【ビーチで乗馬も】フランス「ラ・ボール」が約150年続く“最高峰の穴場リゾート”になった2つの出来事とは?
#314 La Bauleラ・ボール(フランス)
今回の旅はフランス西部のロワール川の河口の街、ナントが起点。ナントから電車で約1時間のところに位置するラ・ボールは、150年ほどの歴史を誇る由緒正しいビーチリゾートです。 【画像】ラ・ボールは北大西洋岸の“コート・ダムール(愛の海岸)”の一部 パリからも、ラ・ボールへはモンパルナス駅から電車で約3時間程度。毎年7~8月のバカンスシーズンには多くのパリジャンが押し寄せ、数週間を海辺で過ごします。そのため夏になると、この街の人口も劇的に増加するとか。けれど、コート・ダジュール(紺碧海岸)に比べると、フランス国外にはあまり知られていない穴場なビーチリゾートです。 ラ・ボールはロワール地方の大西洋に面したビスケー湾沿岸、ポルニシェ港からル・プリガン港までの約9キロメートルにわたるハーフムーン形のロングビーチ。歴史あるブルターニュ文化と海辺の文化が融合した、独特な味わいを感じます。 訪れた9月は夏の賑わいからひと息ついた、落ち着いた風情が漂っていました。朝の潮が引いたビーチでは乗馬クラブの馬たちが仕事前の散策を楽しみ、数人のツーリストが遠浅の海を眺めていました。海岸線には風格のあるリゾートホテルやコンドミニアムなどが連なっています。 貝殻がたくさん拾える淡い色調の砂浜や、白いビルの群れ、そして松林……どこかノスタルジックな風情を感じます。シックな大西洋のリゾート、という印象です。
住みやすいとは言えなかった土地がなぜリゾートに?
ラ・ボールのビーチリゾートとしての歩みは、1879年の鉄道の開通がきっかけでした。 それ以前は、ここは湿った砂丘が広がる、不安定な地盤。住みやすいとは決して言えなかったようです。1779年にはひとつの村が嵐によって砂に埋もれてしまったこともあったとか。ちなみに、ラ・ボールの地名は、洪水に見舞われやすい海岸の土地を意味する古ブルトン語の“ボル(bôle)”に由来しているそうです。 そして19世紀中ごろ、フランス人実業家説やナントの船主説など仕掛け人には諸説ありますが、松の木やハンノキなどを植樹することで地盤を強化。 折しも当時は、鉄道の普及に伴い、欧州やアメリカでは今のビーチリゾートの原型が形作られた黎明期。パリの実業家は地盤が強化されたラ・ボールに鉄道を引く構想を練り、遊歩道などのリゾートプランを計画しました。そして別荘としてのヴィラも、続々と誕生。今でも当時のヴィラが6000棟も残っているそうです。 そして1918年、ドーヴィルで成功していたカジノ実業家のフランソワ・アンドレがラ・ボールのリゾートの青写真を再構成。そのコンセプトは、カジノ、高級ホテル、アクティビティをひとつの敷地に揃えた、いわゆる統合型リゾートでした。 そのフランソワ・アンドレが、現在フランスやスイスでカジノやホテルを展開するリュシアン・バリエール・グループの創設者。今もラ・ボールには同系列の3つの高級ホテルがあります。