メジャー定着フライボール革命の源流は落合博満氏にあり?!
柳田悠岐(ソフトバンク)らの登場で、徐々に日本でも認知されるようになったフライボールの破壊力。 日本では今も“打ち上げるな、転がせ”神話が強く、抵抗勢力が少なくないようだが、大リーグでは「フライを打て」がすっかり根付いた。今や一部は次を模索。フライボールではもはや、アドバンテージになりえない。 その“次”は、ストライク、ボール、あるいは球種の判断にかかる時間をどこまで短縮できるか、そしてその精度を高めるための理論ではないかと言われているが、マイナーでトレーニングを積んだ選手らがそろそろ出てくる頃である。 そんな流れで、フライボールの優位性について触れるのも今さらだが、その源流は案外、日本にあるのかもしれない。日本で活躍した2人の外国人選手の話から、そんなことを考えた。 遡ること、1年ほど前。それまでアストロズの打撃コーチ補佐を務め、ジャイアンツの打撃コーチに就任したばかりのアロンゾ・パウエルと食事をしたとき、彼はこんな話をした。 「広島市民球場の飛距離トップ5を調べれば、おそらく私のホームランが3本ぐらいランクインしていると思う」 パウエルは1992年から1998年まで中日、阪神でプレイ。中日時代の1994~1996年には3年連続でセ・リーグの首位打者のタイトルを獲得している。 ただ、彼が言わんとしているのは、自慢話の類ではない。あるときその広島市民球場で場外弾を放つと、ダグアウトに戻ってから、1992年から2年間同じ中日のユニホームを着た落合博満氏に「ゾーサン(パウエルのニックネーム)、ゾーサン」と呼ばれたのだという。 そのときのことをパウエルはこう回想する。 「オチアイさんはこう言ったんだ。『あんなに飛ばす必要はないよ。フライを打ち上げて、フェンスをギリギリでもいいから越えれば、それもホームランなんだから』って」 それからパウエルは落合氏の打撃を練習も含めて、じっくり観察するようになった。そしてやがて、落合氏の明確な意図を知ることになる。 「オチアイさんはバックスピンをかけて、はかったかのようにフェンスの向こう側に打球を運んでいた。明らかにフライを意識して打っていたと思う」 フライの方が本塁打にならなくても、それが得点に結びつく確率が高くなることも意識して? 「おそらく」 それからおよそ20年の時を経てパウエルは、再びフライボールの理論に触れることになる。2015年、アストロズの打撃コーチ補佐に就任したときにはもう、チームにはフライを打つ意識が、浸透していた。 「選手はしっかりと理解していた」 アストロズは2011年のオフにジェフ・ルーノウがゼネラルマネージャーに就任すると、様々な改革に着手した。常識さえも疑ってかかり、正しいのかどうか、一つ一つデータで分析。そこでたどり着いた一つが、「フライを打て」だった。昨年11月にフロリダ州オーランドで行われたGM会議で少しだけ彼に話を聞く機会があり、なぜ、フライボールという概念を持ち込んだのかと聞くと、「私自身は昔、ビンス・コールマン(1985~1997年)やオーティス・ニクソン(1983~1999年)が、打球を転がして、足でヒットを稼ぐという野球を楽しんできた」と振り返った。 では、なぜそういう野球を目指そうとは考えなかったのか? という問いには、こう答えている。