1980年代にヒットした国産デートカー5選
1980年代に話題になった“デートカー”を小川フミオが振り返る。思い出の5台とは? 【写真を見る】1980年代に流行したデートカー達(77枚) 特徴的な装備や機構もチェック
“デートカー”という言葉が生まれたのは、若者文化が花開いた1980年代。そんな時代のことを知らないというひとも多いとは思うものの、このとき評価されたスペシャルティクーペは、いまも乗りたくなるものが少なくない。 スペシャルティクーペと銘打たれていただけあって、メーカーの気合いが入っていた。モデルによっては高性能、モデルによってはぜいたく、モデルによっては個性的なコンセプト……選択肢が豊富だったのも、”金余り”と言われたバブル経済期の、数すくないよい面だった。 スペシャルティクーペのメインターゲットはというと、幅広かった。でもとりわけ強く反応したのが若者だ。なぜかというと、乗れるクルマといえばたいていは、家にある家族で乗るための4ドアセダンだったのだけれど、生活臭ただようそういうクルマはデート向きではなかったからだ。伸びやかなスタイリングと、スポーティな走りをうたうクーペは憧れだった。 女子ウケがいい、という意味で使われだしたデートカー。たしかに、1990年代の前半まで、若き女性たちも、クルマにけっこう詳しかった。もっとも人気があったブランドのひとつがBMWだ。 背のびして手が届くか届かないかという価格だったものが、日本法人の設立とともに価格が下がり、バブル期には多くのひとが購入に走った。“六本木のカローラ”などと言われたのは有名な話。あのとき2代目3シリーズで運転の楽しさを知ったひとは、いまどんなクルマに乗っているだろう? と、ときどき思う。 このころの女子は、いろいろなことを”勉強”していた。おいしいレストラン、きれいな景色が見られる場所、バッグやシューズ、音楽、それにクルマなどが、当時の重要なサブカルチャーだったのだ。 スペシャルティクーペは、2プラス2のパッケージングのため、ふたりで乗るというある種の不便さが、特別感につながっていた。いまでも、欧米の富裕層は、それゆえ、スペシャルティクーペを好む。デートカー人気を支えた日本の女子は、けっこうな目利きだったのだ。