取材記者が見たオスロでの被爆者 喜びと核兵器廃絶の道の険しさも実感したノーベル平和賞受賞【長崎発】
日本被団協がノーベル平和賞を受賞した。亡くなった被爆者の想いも一緒にノルウェー・オスロヘ向かった被爆者達は、喜びと同時に、核兵器廃絶の道は険しくなっていることを実感していた。被爆地・長崎から取材に訪れている記者が見た、授賞式当日の様子をまとめた。 【画像】被爆講話を聞いた現地の高校生は核廃絶について被爆者と語り合った
「おもてなし」で被団協を出迎えたオスロの街
ノーベル平和賞授賞式は、ノルウェーの首都・オスロで行われた。 日本被団協の代表団が滞在するホテルの通りには、ノーベル平和賞に関する垂れ幕が掲げられ、街中でもお祝いムードが高まっていた。 ホテルの中にも日本被団協のシンボル「折り鶴」がクリスマスツリーに飾られ、至るところでお祝いの「おもてなし」が感じられた。
亡き先人たちと共に喜びたい
迎えた授賞式当日の朝、代表団は集合写真を撮った。 被爆者達は亡くなった先輩達の写真パネルを掲げていた。到着から関連行事で怒涛のスケジュールをこなす中、先輩達の写真を眺める表情はどこか穏やかだった。 このパネルは日本から持参したもので、131人の顔写真を7枚のパネルに載せている。代表団の一人で日本被団協の元事務局員の栗原淑江さんが中心となり、作成した。被団協の運動を築いてきた先人の存在が今回の受賞につながったこと、共に喜びたいとの気持ちからだった。同時にその先輩達がいない現実も痛感する。結成から68年以上が経つ中、果たして核兵器を巡る情勢は…。今回の受賞理由の背景にある、核兵器使用のリスクが高まっている現状から目を背けることはできない。喜びだけではない、様々な感情が被爆者の中に渦巻いていた。
胸に亡き妹からもらったコサージュをつけて
長崎から訪れた日本被団協の代表委員・横山照子さんの胸元には、1輪のコサージュがつけられていた。 44歳で亡くなった妹・律子さんが作ったものだ。 「ノーベル平和賞を受賞できてうれしい思いではあるが、核兵器廃絶の実現はこれからの活動にかかっている。これからも力を貸してほしいという願いを込めて、きょうはコサージュを付けた」と語り、原爆で人生の大半を病院の病院のベッドで過ごさざるを得なかった律子さんの思いも胸に、式に臨んだ。