「家族思いの人だった」 北の富士さん死去、酒田の実妹夫妻が別れ惜しむ
大相撲で優勝10回を数えた、元横綱で12日に82歳で亡くなった北の富士勝昭(本名・竹沢勝昭)さんは、酒田市出身の十両北の若関(24)が所属する八角部屋の八角親方の師匠で、実妹が同市内でちゃんこ店を営み、本県とゆかりが深い。同市の親族は21日、「家族思いで面倒見のいい人だった」と話し、別れを惜しんだ。 同市亀ケ崎3丁目にある「ちゃんこ 横綱 北の富士」は実妹の和島信子さん(70)と夫の明さん(70)が切り盛りしている。店内には北の富士さんの化粧まわし、横綱、1971(昭和46)年九州場所の優勝杯などが飾られている。開店時に北の富士さんから贈られたもの。古里の北海道などで他のきょうだいが営む店にも、自身の記念品のほとんどを贈ったという。 北の富士さんは店を何度も訪れ、5年ほど前にはきょうだい一同で集まった。海鮮が好きで、ちゃんこ鍋の他に庄内浜の刺し身などをよく食べていたという。当時中学生だった北の若関も同店を度々訪れていたことから、信子さんが「酒田に有望株がいる」と伝えていた。
信子さんと明さんが、北の富士さんと最後に対面したのは亡くなる数日前。都内の病院で近親者が病床を囲むと、北の富士さんは呼吸器を外して上半身を起こし、手を振ったという。明さんは、言葉はなかったが目を大きく開けて周囲を見渡したと明かし、「集まったことに感謝を伝えたのだと思う」と話した。しみじみと「最後まで豪快な人だった」としのんだ。 北の若関「孫のように」 元横綱北の富士さんの訃報に、酒田市出身の十両北の若関と同市の相撲指導者は、思い出を振り返った。 北の若関は少年時代から面識があり、自身の誕生日と同じ11月12日が命日となった。「孫のようにかわいがってもらった。何かの縁、メッセージをくれたのではないか」と思いをはせた。北の若関が通った酒田相撲教室(同市)の大壁洋平監督(37)は、2018年に北の若関が角界入り前の壮行会で北の富士さんと会ったという。「気さくな方だった。『稽古を積めば三役に上がれる』と熱く語っていた」と話し、冥福を祈っていた。