「プロ野球90年」ぺこぱ・松陰寺太勇さんのマリーンズ愛 「俺たちがついてるぜ」の横断幕を見て「かっけーな、ロッテファンやめんとこ」と思いました
発足から90年を迎えたプロ野球への思いを聞くインタビューシリーズ。お笑いコンビ「ぺこぱ」の松陰寺太勇さんは大のロッテ好き。熱い応援で知られるマリーンズファンの心情を熱弁してくれた。(聞き手 共同通信・小林陽彦、児矢野雄介) 【写真】「M―1グランプリの予選に楽天のユニホームを着て出たりしていました。気付いてもらえたらいいなと…」 お笑いコンビ・サンドウィッチマンが語る楽天と歩んだ20年 日本一は「家で見て泣いていました。何回見返したか。今でも消せないです」
▽前髪の長いファースト おやじが巨人戦を見ていたので、最初は必然的に巨人ファンでした。駒田徳広、原辰徳、クロマティ、あとはモスビーとかバーフィールドとか。あの辺は覚えています。岡崎郁がサードをやっていて、センターが緒方耕一。それが一番最初の野球の記憶かな。 2年生のころに少年野球チームに入りました。捕れなかったボールが捕れるようになったときとか、芯に当たって打球が内野の頭を越えたときに、やっぱり野球楽しいなあと。決してうまくはなかったんですけど、夢中になってやっていましたね。プロ野球選手になるっていう夢を文集に書いた覚えがあるなあ。 野球歴はちょっと変わっていて、少年野球から中学校で野球部に入ったけど、高校ではバンドがやりたくて丸刈りがいやだったので入らなかったんです。3年生の時に野球部の部員が足りなくなって、経験者だったのでキャプテンから声をかけられました。 その野球部は丸刈り推奨で、長くてもスポーツ刈り。僕はバンドをやっていたので、前髪が命じゃないですか。「丸刈りじゃなくてもいいなら」と答えたら、「それでもいいから頼むから入ってくれ」と言われて入りました。野球部の顧問はめちゃくちゃ怖かった体育教師だったんですけど、「本当にありがとう」と頭を下げてくれましたね。
ポジションはファースト。先輩から代々受け継がれていた伝統のファーストミットがあったんですが、前髪が長いやつがその伝統のミットで守っていました。 今は統廃合でなくなってしまった山口県の光が丘高校という学校で、夏の大会の最高成績の3回戦までいって、甲子園にいった宇部商に負けました。キャプテンは本当に大変だったと思います。人がいないところから何とか10人まで集めて。最終的に3回戦までいって負けたんですけど、終わった後にめちゃめちゃ泣いてましたね。悔しさもあるだろうし、ちょっとやれたという充実感もあっただろうし。僕は思い出が2、3カ月だったので、全く涙は出なかった(笑)。 ▽ロッテって何や 小さいころは巨人ファンだったんですけど、スーパーファミコンで野球のゲームをやるようになって、そこでパ・リーグというのがあるのを知った。チームを選択する画面の端っこの方にロッテっていうのがあって、「ロッテって何や」と思って選んだらユニホームがピンクなんですよ。弱そうだなと思ってプレーしてみたら、聞いたこともない選手がいっぱい。でも弱いチームで優勝したいと思って使うようになりました。