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インディアンスにロッテ…最初に手を挙げた球団を選ぶ根拠【小林雅英 ブルペンから走り続けた13年】

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日刊ゲンダイDIGITAL

【小林雅英 ブルペンから走り続けた13年】#10  クリーブランドはアメリカ北東部、カナダと隣接するオハイオ州の都市です。インディアンスと契約するため、僕は2007年11月に初めてこの地を踏みました。非常に寒く、当日は雪が降っていた印象があります。FA移籍に際して、日本の球団からの誘いを待つという選択肢もありました。でも、なにより真っ先にインディアンスが手を挙げてくれたことがうれしかった。  ロッテに入団した時もそう。日体大を卒業後、東京ガスに入社。プロ入りを目指した当時もさまざまな球団からお話をいただきましたが、一番最初に声をかけてくれたのがロッテの水谷則博スカウトでした。  水谷さんは主にロッテで先発、中継ぎとして活躍。1974年には中継ぎとして日本一にも貢献されました。82年にはリーグ最多の20完投というケタ違いの活躍もされています。  僕がドラフトで指名された98年は、松坂大輔を筆頭に、上原浩治、福留孝介、藤川球児、新垣渚らが1位指名。2位も二岡智宏、岩瀬仁紀ら、そうそうたる顔ぶれがプロの門をくぐった年です。  僕は近鉄から「上原か君を1位指名で考えている」と言われ、ある球団には「今年のドラフトは豊作過ぎるからプロ入りは1年待ってくれ」と打診されましたけど、当時すでに24歳。年齢的な事情もあり、お断りしました。  都市対抗に出場したことはあったものの、あくまで補強選手として。しかも登板機会はなかった。アマチュアの日本代表に選ばれたこともありません。そんな僕を真っ先に評価し、「逆指名は君でいく」とハッキリと言ってくれたのが水谷さんでした。もし、水谷さんがいなければ、ロッテには入団していなかったでしょう。  インディアンスにしても一緒です。獲得するかもしれないとか、タラレバの話ではない。ハッキリとおまえが欲しいと、いの一番で声を掛けるのは熱意の表れ、自分を必要とする度合いが強いと思うのです。素直にうれしいと感じますし、それだけ請われているのですからやりがいもあります。  07年当時、33歳。すでにベテランと言われる年齢ですし、パフォーマンスの向上は難しい。もし、ロッテや日本球界に居続けたら現状維持か、わずかなレベルアップしか望めないかもしれない。それなら、より高いレベルで、しかも環境が異なるリーグに行けば、嫌でもこれまで以上に自分の投球を磨かなければならない。その時、どこまで奮起できるか。自分自身をどこまでレベルアップできるか……。クリーブランドの肌寒さとは裏腹に、そんな熱い思いがふつふつと湧いてきたのです。(つづく) (小林雅英/元プロ野球投手)

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