「仕返ししたら平和は来ない」 ブラジルから授賞式参加の在外被爆者
10日にノルウェー・オスロで開かれる日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞の授賞式には、ブラジルと韓国に住む被爆者2人も参加する。南米最大の都市サンパウロから駆け付ける渡辺淳子さん(82)は「(日本被団協と)同じ気持ちで活動してきたのでうれしい」と受賞を喜ぶ。一方で、差別に苦しんできたブラジルの被爆者たちや核の脅威がなくならない世界情勢を思い、「悲劇を二度とくり返さないでほしい」と願う。 【写真】毎日新聞記者が捉えた被爆1カ月の広島 渡辺さんは広島の爆心地から18キロの地点で黒い雨を浴びた。当時2歳で記憶はないが、下痢が続き、母は「死を覚悟した」という。25歳の時、海外生活に憧れて日系人男性の「花嫁」としてブラジルに渡り、結婚。その13年後、一時帰国した際に母から初めて被爆した事実を教えられたが、実感は湧かなかった。 「被爆したことを隠して結婚したんだろう」。ブラジルでいわれのない差別も受けた。50歳の頃、体調を崩して造血機能障害と診断され、日本で被爆者健康手帳を受け取った。60歳になってから「在ブラジル原爆被爆者協会」(2008年にブラジル被爆者平和協会と改称)で手伝いを始めた。協会にあった南米在住の被爆者たちの被爆や差別の体験談を読むと涙が止まらなくなった。 「被爆の記憶がなくても、この時受けたショックを正直に話すことが私の証言になるのではないか」。証言できる被爆者が高齢化で減っていく中、ブラジルの学校などで証言活動を始めた。 「(米国に)仕返しをしたくならないのか」「被爆者って生きているんだ」。素直な感想が子どもたちから寄せられた。 ポルトガル語で正確に自分の思いを伝えるのは難しかった。だが、何十回と繰り返すうちに、相手の目を見つめて語りかけられるようになった。「聞いている子どもたちの表情もだんだん変わってきて、気持ちが伝わるようになった」 被爆者である会員の減少などに伴い、協会は20年に解散した。協会を設立し会長として長年、核廃絶を訴え続けた森田隆さんも今年8月100歳で亡くなった。渡辺さんは被爆者をテーマにした演劇に出演するなどして、地球の反対側で起きた悲劇を今も伝え続けている。 ノーベル平和賞受賞が決まった日本被団協は「同じ被爆者として日本だけでなく世界の人が一緒に授賞式に参加することに意義がある」と在外被爆者にも参加を呼びかけた。渡辺さんはブラジルの被爆者たちと相談して参加を決めた。「被爆者は家族を焼かれ放射能の後遺症に苦しみ、差別を受けながら生きてきた。遠い昔のことと思わず、我々の証言から二度と繰り返してはならないという思いをくみ取ってほしい」 子どもたちに「仕返しをしたくならないのか」と尋ねられた渡辺さんは、こう答えるようにしている。「仕返しをしてしまったら、永久に平和は来ない」。オスロではブラジルでの平和活動について報告するつもりだ。【竹内麻子】 ◇在外被爆者 太平洋戦争中に広島、長崎で被爆し、現在は海外に居住する被爆者。今年3月末現在約2400人で、①韓国約1680人②米国約560人③ブラジル約70人――の順に多い。2016年から国内の被爆者と同じように医療費が無料となった。