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終の住処で、75年前の戦禍を思い出す。引き揚げ船が機雷で沈んだ日を

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婦人公論.jp

両親が財を成したソウルでの穏やかな暮らしは、敗戦で一転。わが子を抱き、乗り込んだ船はまさかの機雷に遭う。降り注ぐ重油のなか、船は沈んでいき――101歳の柿本さん(仮名)が綴る衝撃の過去とは(「私たちのノンフィクション」より/イラスト=丹下京子) * * * * * * * ◆ここの住民にとってはまるで昨日のこと 「勝って来るぞと勇ましく! ハイ!」 年寄りなりに渋くよい声で軍歌を歌いながら、茶色の靴べらを頭上高く振り回し、あたりを油断なく睨んで歩きはじめたおじいさん。あとに続くは、車椅子を左手のみで器用に操りながら前進する、白髪まじりのおばあさん。さらに、2本の杖を両手でついているのに、よろよろと転びそうなご老人。男か女かちょっとわかりかねるが、ズボンの前が濡れているから男かな。それともお味噌汁でもこぼしたか。 ここは深い木立に囲まれた山のてっぺんに建つ、古いけれどわりに評判のよい老人ホームなのだ。春には、桜並木から花びらがかたまりになって、窓へ舞い込んでくる。ときどき、つばめやこうもりも部屋を覗き込む窓辺に立つと、遠くの街の明かりが瞬いて、若き日を思いながら郷愁にひたる老人たちが、ひっそりと静かな毎日を送っていた。“元日本陸軍騎兵大佐殿”が、五島列島からはるばるここに入所するまでは。 大佐殿ご自慢の敵中横断三百里の行進は、ある朝から突如としてはじまった。1階の大食堂の朝食のあと片づけが終わると、片寄せられたテーブルの前で大行進、となる。しかし、よたよたとしたひ弱い軍隊は、5メートルと前進しないうちにぶっ倒れて潰れ、終了に。馬鹿馬鹿しくて無視していると、 「ほら、そこのばあさん」 「わたし?」 靴べらで私の肩をトントン。私101歳。ここでは男女あわせたなかでも最年長者だが、寝たきり老人とはほど遠い。靴べらを大佐殿からもぎ取ると、なるべく遠くのほうへ放り投げた。 さあ、一大事、大佐殿は勇敢に反撃に出るか。と思いきや、その場にくたくたと座り込んだ。きっとこの人、いつも妻からやり込められていたのよね。私わかるの。妻を75年もしていたから。 *** 私の父は農家の三男として生まれた。当時は長男が田畑を継ぐと、次男三男は家を出なければならない運命なのだ。日本が日露戦争に勝利し、従軍していた父は退役後にお国から280円のお金を下賜された。 「俺も行くから君も行け 狭い日本にゃ住みあいた」 当時、こんな歌が流行ったそうだ。ちょうど韓国併合が決定して、国策であったのか、若い次男三男たちがなだれのように外地に新天地を求めて旅立った。 父は当時28歳。あこがれの地ソウル(当時の京城)に住居が決まると、娶ったばかりの母を呼び寄せ、6人まで子が増え大家族となった。私が物心ついたころのわが家は裕福で、金庫にはお金が山積みされていた。 父母は故郷に錦を飾ろうと、おいしいものも食べずに、昼夜の別なく努力したのであろう。広い土地に大きな工場を建て、軍関係の仕事をしていた。日曜日になると兵隊さんがたくさん遊びにきて、酒保(軍隊の駐屯地などに建てられた売店)とかいうところでおまんじゅうを買っておみやげにくださるが、とてもまずかった。 それからお国自慢の民謡がはじまる。宮城県出身の兵隊さんはスキーの歌がお上手で、その膝を、5歳くらいだった弟と取り合いっこしたものだ。

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