<ワールドカップ>コートジボワールの強さの裏に「虎の穴」
サッカーのコートジボワール代表「レ・ゼレファン(Les Elephants)」には、他の国の代表には例を見ない特色がある。2006年のW杯初出場以来、チームの主軸の大半を、同じアカデミー出身選手が占め続けていることだ。3年連続でアフリカ最優秀選手賞に輝くヤヤ・トゥーレ、高速ドリブルでピッチを切り裂くジェルヴィーニョ、100試合を超える代表出場記録を更新し続ける「マエストロ」デディエ・ゾコラ、彼らは同国の名門クラブ、アセック・ミモザのアカデミー、『アセック・ミモシフコム』の出身である。このアカデミーが、コートジボワールの強さの源泉と言われて久しい。このアカデミー歴史と現状を知ることは、日本代表の初戦の相手、コートジボワール代表を知る鍵となりそうだ。 ■世界有数の「虎の穴」有望選手を輩出するアカデミー コートジボワール最大の都市アビジャンの郊外を拠点とするアセック・ミモザは、24回の国内選手権優勝、1989年から1994年にかけて達成した108の連勝記録など、数々の栄光に彩られる名門である。後に日本代表監督となるフィリップ・トルシエは、1989年にシニアチームの監督に就任、1990年にクラブを10年ぶりのリーグ戦優勝に導き、1990年代の常勝チームの礎を築くなど、コーチとしての才能を開花させた。だが、このクラブの存在を世界に知らしめているのは、シニアチームよりも、むしろ、そのアカデミー、『アセック・ミモシフコム』である。 1994年、元フランス代表ジャン=マルク・ギユーが、アカデミーのコーチとして赴任、現代表の主軸を次々育てた。卒業後、いきなりアーセナルと契約したコロ・トゥーレのような事例も存在するが、弟のヤヤを始め、多くの選手が、アセックと提携したベルギーのベヴレンを経て、ビッグクラブに移籍している。中小クラブで経験を積んだ選手がビッグクラブに移籍すると、その度に育成クラブは移籍金の一部を受け取る。ベヴレンとの提携、移籍金システムなどが、ギユーがクラブを去るまでに確立された。 ■教育、環境の整ったアカデミー クラブの敷地内に併設されるアカデミーには、14歳以上の少年たち36人が寄宿している。食費、授業料、用具、全ての費用はクラブの負担。保護者が何かを支払う必要はない。コートジボワールは、アフリカ諸国の中では発展した国だが、児童労働の光景は決して珍しくない。街中で領収書を頼んでも、「字が書けない」と言って断る文盲の人も多い。そんな国情にあって、彼らアカデミーの選手たちは、公用語のフランス語での授業に加え、将来の欧州行きに備え、スペイン語や英語などの外国語の授業まで受けている。食事の質も良い。貧困から脱し、プロとなる、理想的な環境である。