父が抱え続けた広島の記憶とつらさ、伝えたい 被爆2世の声優井上和彦さん #8月のメッセージ
声優として多くの人気キャラクターを演じてきた井上和彦さん(66)は、広島で被爆した父を持つ被爆2世だ。広島と長崎に原爆が落とされた8月6日と9日は、ブログなどで平和への思いを発信してきた。被爆75年の節目の年に思いを聞いた。(共同通信=兼次亜衣子) ―広島市で被爆した父の体験は。 物心ついた頃から、原爆の話を毎晩のように聞かされてきました。兵士として広島市にいた父は1945年8月6日朝、上空で飛行機が旋回しているのを見たと言います。爆弾が落ちたと思ったら兵舎の窓が全て吹き飛ばされて、父もベッドの下に隠れたそうです。「何が何だか分からない」うちの出来事でした。 父は、その日のうちに爆心地に向かい、生き残った方の救助に従事しました。「水をくれ」と懇願し、一口飲んで「ありがとう」と言って息を引き取った人。電車の中でつり革を持ったまま真っ黒焦げになっていた人。その時の光景を、リアルに話してくれました。
子供心に残っているのは、川を泳いでいたコイの背中の皮がやけどでめくれていた話です。戦争は大嫌い、原爆はいけないと、強く思いました。その頃から培われた「人と人とが争うことは本当に嫌なことだ」という思いは、僕の細胞レベルにまで染み込んでいる気がします。 ―父の健康に影響は。 爆心地に入った後、デパートの屋上にあった煮干しを食べてしまい、その後ものすごい下痢が続いたと聞きました。1週間ほど止まらなかったそうです。 また、全身が痛んで体が動かなくなる寝たきり状態の姿を、子供の頃から時折見てきました。原因は不明で長年苦しみました。実は、僕も20歳ぐらいの頃に一度だけ同じ症状になったことがあります。原爆が関係しているのかは分かりません。 ―父の体験をどう受け止めているか。 63歳で父は手記を書きました。日付や場所も含め、とても詳しくつづられています。よくこんなに覚えているなと驚いたほどです。忘れられないくらいショッキングだったんでしょうね。フラッシュバックのように、何十年も続いてきたのだろうか。そう考えただけでも生き地獄ですよね。その日だけで終わらないつらさは、体験者しか分からないと思います。