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[寄稿]日本製鉄代表取締役、まず謝ってください

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ハンギョレ新聞

 私は日本製鉄を相手とする損害賠償請求訴訟の原告、すなわち強制動員被害者の代理人です。2018年10月、韓国最高裁(大法院)判決の唯一の生存原告であるイ・チュンシクさんに最近お目にかかりました。日本でもそうですが、韓国でも最近、日本製鉄の資産に対する差し押さえ決定文に関して連日報道が続いています。その差し押さえ決定文に記載された債権者1番がイ・チュンシクさんです。自分の名前が書かれた書類のために、これほど大きく事件が広がっていていることについて、イさんの心境が心配になりました。  イさんは世間の反応に対して心配されていましたが、100歳近い自分に対してもっと心配されていました。長い訴訟の末に勝訴判決を受けましたが、2年が過ぎようとしているのに何の変化もなかったので焦りも感じておられます。遅くなってしまい申し訳ない、もう少しだけ元気でお待ちいただきたいとお願いしながら、一つ質問をしました。「日本製鉄がイさんに会いにきて謝ることについてはどう思われますか?」  「ふろ敷包みも持ってこなくちゃ。ふろ敷包みを持ってきて謝れば、ありがとう、ご苦労さんと言うだろう」。ふろ敷包みとは、イさんが賠償金を表現される言葉です。すぐには理解できませんでした。「ありがとう」という気持ちと表現について、再び伺いました。「私が苦労したということを忘れないで訪ねてくるならばありがたいと思うだろう。月給ではなく奴隷代なのに、その奴隷代を今からでも持ってくるならありがたいと思う」  「強制動員」、「強制徴用」、「徴用工」などの用語が使われていますが、その本質は奴隷でした。軍国主義日本は、アジア太平洋戦争が極に達した1940年代、戦争物資供給のために朝鮮の若者を軍需工場で奴隷のように働かせました。韓国の裁判所ではなく日本の裁判所が認めた、1940年代の日本製鉄における朝鮮人の暮らしです。「起床から就寝に至るまで、軍隊的規律下におかれ、個人的な行動は一切認められず、就労からの離脱は厳禁され逃亡と見なされれば生命に関わる苛酷な制裁を受けた。(…)給料の金額は明示されず、また通帳のようなものは提示して一方的に預金させ、きわめて少ない金額しか支給しなかった」(大阪地方裁判所2001.3.27.宣告 平成9年ワ第13134号事件)  賃金を受け取るどころか仕事を辞めることも逃げることもできない奴隷の空間が、まさに日本の製鉄所でした。そこで仕事をした若者たちが今、高齢者になってはじめて“奴隷代”を請求し、長い時間の末に結局訴訟で勝ちました。大韓民国最高の法律家の助けを受けて13年かけて訴訟で争いましたが、結局敗訴した日本製鉄は日本政府の陰に隠れて判決の履行を拒否しています。その後に発生した韓国と日本の間の多くの葛藤については、代表取締役の方がよく知っておられるでしょう。「現金化を巡る葛藤」とよく描写されますが、被害者が感じるのは“奴隷代”の問題だということです。  私はこの葛藤を解決するためには日本製鉄が判決を履行すること以外に道はないと考えます。しかし、韓国最高裁の判決が国際法違反で、1965年の請求権協定ですべてが解決されたという日本の立場を変えることは簡単ではないことも知っています。日本製鉄を含む強制動員事件の被告企業らが、被害者たちと接触し小さな協議を始めることさえできずにいる状況です。  しかし、今の日本製鉄を作った時間の中に朝鮮人の強制労働が存在します。否めない事実です。これについて日本製鉄の誰も謝っていません。世界の鉄鋼メーカーの中で順位3~4位を争う世界的企業という地位を考えれば恥ずかしいことです。また、1965年の請求権協定のどこにも、事実認定と謝罪の意志表示を制限する内容はありません。何よりも、謝罪を待つ生存被害者が何人も残っていません。この時間が過ぎれば、日本製鉄は謝罪の相手さえ失うことになります。  まず謝ってください。結局このことを申し上げたくてこの文を書きました。100歳を控えた高齢者に対して、あなたの若き日の苦痛を忘れていませんと、心からおっしゃってください。“謝罪”だけでは判決の履行は完了しません。それでも増幅される葛藤の中で、日本製鉄の代表取締役が今すぐにできる“謝罪”という行為の後で、私たちは今までと明らかに違う関係を始められるようになるでしょう。 イム・ジェソン弁護士・社会学者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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