【和田彩花のアートさんぽ】よりまちに開かれた美術館を目指し再整備へ──練馬区立美術館
大学院で美術史を学び、現在もさまざまなメディアでアートに関する情報を発信している和田彩花さん。2022年からはフランス・パリに長期滞在し、「アート」をキーワードにパリでの日々を綴った「和田彩花のパリ・アートダイアリー」を経て、和田さんの新エッセイがスタートしました。 【全ての画像】和田彩花のアートさんぽ/よりまちに開かれた美術館を目指し再整備へ──練馬区立美術館 本連載では、展示内容や収蔵品、歴史や建物などに特徴がある都内近郊の美術館や博物館、ギャラリーなどを訪問。大規模な企画展が開催されているような美術館とは異なり、地域に根差した美術館や個性的なアートスポットを取材し、和田さん独自の視点でその魅力をご紹介します。 じっくりとアートと向き合う時間を過ごせる、お気に入りのスポットを探しに出かけてみませんか。(ぴあアプリ/WEBより転載) 2025年秋に改築工事に入ることがお知らせされた練馬区立美術館へやってきました。休館前にぜひ一度訪れたかった場所です。 ここ練馬区立美術館さんは、本連載で追いかけている池袋モンパルナス(戦前から戦中にかけて池袋周辺に形成されたアトリエ村)に関係する画家の作品を多く収蔵している場所でもあります。 また、展覧会の企画性を重視しており、他とはまた違った楽しさが充実した美術館でもあります。 今回は、画業の他にも文筆活動や、長野の戦没画学生たちの慰霊のための美術館「無言館」の設立、東京藝術大学で教鞭をとるなど多岐にわたって活動し、2023年に逝去した野見山暁治さんを紹介する展覧会『追悼 野見山暁治 野っ原との契約』(2024年12月25日(水)まで)を鑑賞しました。野見山さんは、練馬区に長くアトリエを構え、名誉区民でもありました。 この展覧会では、野見山さんの画業が前期・後期に分けて、じっくり紹介されます。現在、展示されている画業の後半の作品ではどんな変遷が見られるでしょうか。今回、お話を聞かせてくださったのは、練馬区立美術館学芸員の木下紗耶子さんです。 まず、私たちを出迎えてくれたのは雄大な自然が目を引く作品、《思い出すこともない》(2008年頃)。 「こちらは晩年の作品の一つ。抽象的なイメージが展開されていく時期、大胆な筆使いでありながら、重層的な色の塗り重ねと独特な色彩感覚が特徴の作品です」(木下さん) 第一印象は、とても見やすい抽象画だと感じました。自然の景色の奥行きを感じられる画面は、迷うことなく、視線を誘導してくれます。また、塗り重ねられた色彩は見れば見るほど楽しくて、見やすいのに時間を忘れて没頭できる作品だと思いました。 野見山さんの捉える自然ってどんなものだろう? このあとに続く展示を想像するだけで気持ちが高鳴ります。 前半の展示の振り返りとなる2作品から、旧満州に出征する直前に妹・淑子を描いた《マドの肖像》(1942年)。 「池袋モンパルナスの時代に描かれた作品です。池袋モンパルナスは自由な気風で、さまざまな作風の作家がいる場所でしたが、少しずつ戦争の気配が漂っている作品です。絵を描きたいという気持ちと、それでも戦争に行かなければいけない、今後絵を描けなくなるかもしれないという緊迫感もあります。野見山は実際、本作の翌年に東京美術学校を卒業してすぐ、旧満州に派遣されました」 戦後、日本に戻ってからも暗い色調の作品が続いたのだそうです。また、資材を用意する難しさ、世間の目も厳しいなかで、絵を描くこと自体、すごく抵抗のあった時代だといいます。 その後、野見山さんはフランスへ留学されますが、戦後に渡仏するのもなかなか難しい状況ですよね。 「ご家庭が炭坑を経営されていて、裕福であったという状況のもとで、フランス政府の留学生として渡仏しました。のちの野見山先生の無言館の活動を踏まえると、池袋モンパルナスで共に楽しく過ごした同級生や先輩方が戦地で亡くなり、生き残った自分がどう描き繋いでいくのか、また描きたいと願っても描けなかった人たちの描く自由を獲得していくという意気込みがあって留学に踏み切ったり、描き続けることに挑んでおられたのかなと想像したりします」 池袋モンパルナスの画家たちを追っていくと、戦争に結びつくことが多いですね。池袋モンパルナスや日本近代画家たちを通して改めて戦争について考えなければいけないと思っています。 ではいよいよ後期の展示、4章と5章の始まりです。 フランス留学から帰国後、風景を描くことが重要なポイントだと木下さんはいいます。描きとるだけじゃなく、自分の中で生まれてくる心象風景、見たものから離れて自由になる風景の在り方が紹介されます。 自然の荒々しさが見えてくるような作品を発見しました。《岳》(1966年)です。 「細かく描くプロセスと、それを大胆に消していくプロセスが組み合わせられています。最終的に作品に仕立てるときには、その風景のなかで大事な部分を大胆に描き取るところがこの時代の大きなポイントです」 大胆に筆を載せていたのかと思いきや、コラージュしたような画面になっているんですね。それから、パッと目に飛び込んでくる色も印象的。 ここで練馬区立美術館が所蔵する野見山さんの代表的な作品である《ある日》(1982年)です。 「野見山先生は、70年代から練馬のアトリエと福岡県の糸島のアトリエを拠点に制作されていました。どちらのアトリエも建築家の篠原一男さんが手掛けています。《ある日》は、糸島のアトリエの建築空間からインスピレーションを得ています」 すごい、美術館みたいなアトリエですね。かっこいい。 「《ある日》は、糸島のアトリエから見える海の風景を描いています。アトリエの建物を思わせるコンクリートのような枠組みのなかに水平線が見え、真ん中には波のようなものが立ち上がり、晴れた日と嵐の日の海が同居しているかのようです。風景をそのまま写しとるのではなく、自分の描きたい海に対するイメージが表現されている、こういうところが野見山先生の作品の面白さだと思います」 《目にあまる景色》(1996年)では、抽象的なイメージが深化していますね。 「この時期の作品は画面に直線が引かれていることが特徴で、水平な一本の線が起点になって立ち上がってくる風景が探求されています」 ヨーロッパに滞在していた時代、アクションペインティングや戦後のフランスの抽象画などと同時代的に制作はしていたようですが、流行にはちょっと距離をおいて見ていたそうです。マイペースに、年齢を重ねても新しい表現を臆することなく取り入れていれる姿がかっこいいです。 第5章にある《遠い空から》(2009年)。ここまで、色や形が重ねられていっていうことを普通にそのまま理解していましたが、重ねたプロセスを発見する面白さもあれば、切り貼りの積み重ねでできたまた一つのモチーフを発見する楽しさにも気づきました。重層的なのに、シンプルという相反する感覚がとても楽しくて、奥深いです。 そして、《題不詳(絶筆)》(2023年)も展示されています。 「糸島のアトリエに制作途中で残され、サインを入れたら展示できるところまで考えておられた作品の1点です。記録写真では、上下逆さまにして製作されていたことがわかります。縦横なども自由に変えてみることで、自分自身で描いたものを客観的に見ていくプロセスがあったみたいです」 絶筆と言われる作品を見たのは、実は初めてです。最後まで作品や自分自身を発見していくエネルギーに圧倒されます。 今回は、画業後半についての展示でしたが、最後まで挑戦しつづける野見山さんの姿をお手本に生きていきたいなんて思わされました。野見山先生の画業前半の作品もじっくり見てみたいです。こんなに奥深い抽象画があったなんて。今後、好きな抽象画を聞かれたら、野見山さんを名前を挙げる自分を想像しながら、この取材を終えました。 最後に練馬区立美術館の取り組みについてお話しを伺いました。 「作品や展示を見にくるだけではなく、物を作って発表するなど区民をはじめとして広く一般の方の自主的な活動やコミュニケーションの場としても開かれています。こうした機能を持つことを通じて、美術館への来館の目的が多様だといいなと思っています」 ワークショップに参加できるだけでなく、発表する場も貸してもらえるんだそうです。 練馬区立美術館は、野見山暁治さんの展覧会を最後に企画展を終了、2025年秋より完全に閉館し、改築工事に入ります。建築家の平田晃久さんによる設計で生まれ変わり、リニューアル後は建物も大きくなるんだそうです。また、図書館と美術館の融合、さらに町とどう融合できるかが建築の側面からも重視されていくそうです。 閉館中もさまざまな取り組みが行われる予定で、すでに始まっているものもあるそうです。 「美術館の外に出ていく試みとして、図書館や商店街、近隣のお店と協働し“アートマルシェ”を2年前から開催していて、閉館中も続けていきます。今年のアートマルシェではさまざまなイベントが行われたのですが、ワークショップで動物の仮装グッズを制作し、それを身に着けて商店街を練り歩く“ねりび・あにまるぱれーど”なども行いました。ワークショップには舞台衣装を製作されている方を迎え、遠くからみても目立つよう面白い形のものを作ったりしました」 ものすごくかわいくて、素敵な取り組みですね。 これまでも素敵な企画と、一般の方に開かれていた印象のある練馬区立美術館ですが、リニューアル後は、さらに町や人と距離が近くなる美術館になりそうですね。2028年度予定のリニューアルをお楽しみに。 お見送りは、野見山さんが大好きだったお面たちが。毎年、節分にお面を作られて、鬼のお面をかぶって、鬼は外と豆をまいていたのだとか(!)。かわいらしい一面もぜひ見逃さずに。 ■練馬区立美術館 都内で3番目の区立美術館として、西武池袋線中村橋駅にほど近い場所に1985年に開館。練馬ゆかりの作家を含め日本の近・現代美術を中心に作品収集を行い、近年では近世、西洋の分野にも幅を広げ、新たな視点・切り口で企画展を開催。ギャラリートークやワークショップなどの教育普及活動のほか、区民ギャラリーや創作室の貸し出しも行い、制作や発表の場としても広く活用されている。2025年秋より大規模改築工事のため休館予定。 【展覧会情報】 『追悼 野見山暁治 野っ原との契約』 2024年10月6日(日)~ 2024年12月25日(水) 開館以前から作品を収集し、1996年と2007年には個展を開催するなど、同館とのゆかりが深い野見山暁治。池袋モンパルナスで過ごした東京美術学校時代から、2023年に逝去するまで、絶筆作品を含む油彩画や版画、ドローイングのほか、関連資料など約80点でその画業を展観。さらに、野見山のアトリエに残された制作の道具や愛用の品等を紹介するほか、アトリエでのインタビューや新たに撮影した練馬と糸島のアトリエ内部を紹介する映像も展示されている。 <PROFILE> 和田彩花 1994年8月1日生まれ、群馬県出身。 アイドル:2019年ハロー!プロジェクト、アンジュルムを卒業。アイドルグループでの活動経験を通して、フェミニズム、ジェンダーの視点からアイドルについて、アイドルの労働問題について発信する。 音楽:オルタナポップバンド「和田彩花とオムニバス」、ダブ・アンビエンスのアブストラクトバンド「L O L O E T」にて作詞、歌、朗読等を担当する。 美術:実践女子大学大学院博士前期課程美術史学修了、美術館や展覧会について執筆、メディア出演する。