Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

第1回全人代から代表を務めた申紀蘭さんが死去 「生きた化石」が遺したメッセージは

配信

東方新報

【東方新報】誰かを称して「生きた化石」と言うと、その人を揶揄(やゆ)しているようなマイナスのイメージがある。だが、6月下旬に中国で、90歳で死去した申紀蘭(Shen Jilan)さんは、愛着を込めて「活化石(生きた化石)」と呼ばれてきた。中華人民共和国成立後、1954年の第1回全国人民代表大会(全人代=国会に相当)から代表を務め、66年間にわたり歴代の全人代すべてに参加した唯一の代表だった。  1929年に山西省(Shanxi)長治市(Changzhi)西溝村(Xigou)に生まれた申さん。小学校低学年ほどの学歴しかなく、子どもの頃からおけに水を入れたてんびん棒を担ぎ、やせこけた大地を耕した。20歳をすぎて地元の農業協同組合の幹部となり、「女性も農作業に携わり、男性と同じ報酬を得るべきだ」と提唱。活動が評価された申さんは24歳の若さで1954年の第1回全人代の代表に選ばれる。ロバとバス、汽車を乗り継いで初めて故郷を離れ、北京へ訪れる。申さんの呼びかけもあり、この全人代で成立した憲法は「男女の同一労働同一賃金」を明記した。  申さんは毛沢東(Mao Zedong)や周恩来(Zhou Enlai)、鄧小平(Deng Xiaoping)といった歴代指導者と面会し、前国家主席の胡錦濤(Hu Jintao)氏も「申大姐(申姉さん)」と敬意を表していた。現国家主席の習近平(Xi Jinping)氏も副主席時代の2009年、西溝村を訪れて申さんと面談している。申さんは「全国労働模範」「改革先鋒」など数々の称号を受け、昨年には新たに創設された中国初の国家級勲章「共和国勲章」を、ノーベル賞受賞者や宇宙科学者らとともに授けられた。  例年3月に開催する全人代。今年は新型コロナウイルスの影響で5月に延期されたが、申さんは体調不良で出席できなかった。申さんが亡くなるまで8年間付き添った張娟(Zhang Juan)さんは「全人代の閉幕式があった5月28日、病室の申さんは私に指示をして黒いスーツに白いシャツという正装に着替えさせ、人民代表の証明書を掲げながら、テレビで閉幕式を見届けていました」と振り返る。 「共産党の指示に従い、勤勉であること」と繰り返してきた申さんは2009年に、「人民代表は党の言うことを聞かなければならない。私はこれまで反対票を投じたことがない」と発言し、国内では批判もあった。申さんを称賛する側は「党と国家への忠誠心」を強調するきらいがあり、それへの反発もある。  付添人の張さんによると、申さんはホテルに宿泊する時に個室を断り、豪華な食事の提供も拒絶した。昨年秋は、自ら鎌を持って、畑でトウモロコシの刈り入れをしていた。亡くなる直前には「これまで受け取った共和国勲章の手当はすべて党費に収める」と遺言をした。  全人代代表となると、その「特権」を享受しようとする人物もいるが、申さんは労働者代表の姿勢を貫いた。「党の指示に従う」という言動は、「自分の本分を全うすることが人生において大事なこと」という信念と、それを実践してきた自負の表現なのかもしれない。  6月30日、申さんの葬儀が長治市で行われた。新型コロナ対策として参列者はマスクの着用が義務づけられ、入場制限も行われた。それでもマスクをつけた弔問客が次々と会場に訪れて長蛇の列をつくり、涙ながらに最後の別れを告げていた。「生きた化石」は多くの人の心にその生き方を刻み、愛されながらこの世を去った。(c)東方新報/AFPBB News ※「東方新報」は、1995年に日本で創刊された中国語の新聞です。

【関連記事】