『フィッシャー・キング』 奇才テリー・ギリアムがこれまでの技法を封印して挑んだ心温まるヒューマンドラマ
我を突き通さない、新たなスタンスへの挑戦
テリー・ギリアムと聞いて私がすぐ思い浮かべるものーーーそれは、あのモンティ・パイソンの時代から変わらぬ、目をカッと見開いて素っ頓狂におどけて見せるお決まりの表情。それからなんといっても、彼が映画監督として築き上げてきた奇想天外な世界観だ。 ギリアムの手掛けた作品は、これまで予算超過やトラブルの連続などの負の側面ばかりが面白おかしく取り沙汰されてきた。これは逆に捉えると、彼が常に限界の壁を越えようと闘い続けてきている証でもある。一度やったことの再生産でお金儲けができるならこんなに楽なことはない。しかし彼のアーティストとしての矜持がそれを許さない。巨大な風車を見つけては無謀な突進を繰り返す。そんなドン・キホーテの如き姿こそ、我々の最もよく知るテリー・ギリアムの生き様だ。 その一方、2021年で公開30周年を迎える『フィッシャー・キング』(91)は、ギリアムのキャリア史上、非常に特殊なタイミングで生まれた、異色作とも言える。 彼は、80年代後半に『未来世紀ブラジル』(85)や『バロン』(88)でプロデューサーやスタジオと揉めに揉めた。いわば、出資者の立場からは「ギリアム=トラブルメーカー」と烙印を押されていたと言っていい。そんな彼もさすがにこの時期、トラブル続きの人生が嫌になったようで、これまでとは違う映画づくりに挑戦しようと考えた。すなわち、自分の映画監督としての”我”を押し通すのではなく、むしろ何かのために自分の身を捧げる。『フィッシャー・キング』は、ギリアムの精神状態にそういう”穏やかな風”が吹いていた時代に作られた映画なのである。
リアルなNYの街並みを用いた、現代の大人たちのお伽話
通常であれば、”穏やか”であることは、受け身に回ったり、日和ったりしたもの、あるいは悟りを開いた結果と捉えられがちだ。しかし、これまで散々闘い続ける生き方しか知らなかったギリアムにとっては、まさに真逆。これこそ新たな挑戦だった。 ハリウッドのスタジオとは距離を置く。アメリカでは撮らない。自分の脚本じゃないと撮らない。そんな三原則を貫いていた当時のギリアムが、本作ではこの全てを破っている。そうすることで自身の”他の一面”を切り開きたかったのだ。 そんな心境の変化の過程で、彼はある日、2本の脚本を同時に受け取る。一本には『アダムス・ファミリー』と題されていた。のちにバリー・ソネンフェルド監督によって大ヒットを記録する本作ゆえ、脚本のクオリティも高かったはず。だが、さすがに『バロン』の直後だっただけに、手の込んだ特撮を必要とするこの企画は、ギリアムの胸に全く響かなかった。そうやってため息まじりに手にした”もう一本の脚本”が彼を夢中にさせた。『フィッシャー・キング』との出会いである。 それは、自分の軽はずみな発言が原因で悲劇を引き起こしてしまうラジオDJと、心に大きな傷を抱えて生きるホームレスの物語。 彼お得意の”伝説”や”ファンタジー”の要素が散りばめられているとはいえ、これはあくまで現代劇だ。背景に広がるのは、いつもの手の込んだ美術セットではなく、当時のニューヨークの街並みそのもの。いわば”現代の大人たちのお伽話”がそこには広がっていた。