表現者:武田鉄矢 インタビュー「負けと折り合うことから人生を知る」
監督業は、自分には難しかった
第2作から監督もやってみて、自分が撮影に参加する姿勢が変わったという。 「自分が俳優さんの側にいるのと、キャメラの横で監督として俳優さんの芝居を見るのとでは、ものすごく世界が違うんです。それは精神的にきつかったですね。またいいセリフを思いついたら、主演の自分が言えばいいものを、周りの俳優さんに配っていました。監督をやると、自分よりも周りの俳優さんのいいセリフに酔うところがあるんです。それで俺はあの俳優さんをうまく使ったという気になる。でもそれだと主役が立たなくなっていく。難しかったですよ。だから海と川という、水圧が違う世界を自在に泳ぐシャケみたいなことは自分にはできないと痛感しました。ただこのシリーズが終わってからは、監督さんに食って掛からなくなりました。『この人も、辛いんだろうな』と思うようになってね(笑)」 武田監督はゴルフという競技を通して、どんなドラマを描きたかったのだろうか。 「ゴルフは、かなり運が混じり込んでいるスポーツだと思うんです。その運とどう折り合うかということが言いたかったんだと思いますね。織部という勝てないプロゴルファーが、最後は運に身を任せる。その任せ方というのが、私たちの人生の中で実は一番大事なのではなかろうかと。これは芸能人とも似ていますね。技術はあっても何かきっかけがないと、その才能を発揮する場所を得られない芸能人がいっぱいいますから。その運をどうやって捕まえるのか。あるいは、運とどう付き合うのか。そのことをプロゴルファーというポジションから考えてみたかったんです」
海援隊が50年続いた理由は?
また6月には、武田鉄矢と中牟田俊男、千葉和臣の3人によるフォークグループ・海援隊の、『海援隊50周年コンサート ~故郷離れて 50年~』の模様も放送される。 「50周年を過ぎてから、あまりケンカもせずに楽しくやっております。よくここまで持ったなと思うんです。福岡時代には同時期にTULIPがいて、井上陽水がいて、すぐ下に甲斐バンドがいてとライバルがひしめき合っていて、いつ消えてもおかしくないグループでしたから。この間千葉が、『生き残れたのは、武田さんの芝居ッ気のおかげじゃないか。音楽では全部負けていたけれど、武田さんの歌にはお芝居があって、個性では誰にも負けていなかった』と言っていました。そうかもしれませんね。『母の捧げるバラード』なんて、独り芝居しながら歌っていましたから」