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目は黄色、お腹は腹水でパンパン…萩原正人の「肝硬変」闘病記

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SmartFLASH

 かつてお笑いコンビ「キリングセンス」で活躍した萩原正人(53)の肝臓闘病体験は、壮絶だ。母子感染によるB型肝炎から、肝硬変を発症。「余命半年」の宣告を受けて渡米し、肝臓と腎臓の同時移植手術を受け、生還した。 【写真あり】同時移植の壮絶さを物語る、萩原の手術痕  肝硬変と診断されたのは31歳のころだ。40度近い熱が出て病院に行くと、萩原の顔を見た医師は、すぐに血液検査をすすめた。 「日に日に顔が黒くなっていって……。すでに黄疸が出ていたんです」(萩原、以下同)  1年後、肝硬変の影響でできた食道静脈瘤が破裂。大出血して、生死の境をさまようことになる。医師はいっさいの仕事を禁じ、「安静にしていることが仕事です」と告げた。末期の肝硬変に治療法はほとんどなく、対症療法が中心となった。 「腹水が溜まれば入院して、水分制限と利尿剤で対処しました。『肝性脳症』(肝臓で分解されるはずの有害物質が脳に達し、脳機能が低下する状態)の疑いがあれば、点滴による投薬治療を受けました。ただ、これで肝硬変が治癒することはありません」  そして、肝機能の状態を示す「総ビリルビン値(基準値は1以下)」が6まで上昇したとき、医師に「余命半年」と告げられた。 「腹水でおなかが妊婦のように膨らみ、食べ物を受けつけず体はガリガリにやせて、『地獄の餓鬼』のようでした」  萩原はこのとき、移植を決意する。渡米し、ドナー登録をしたが、移植まで9カ月かかった。  移植を待つあいだに、再び食道静脈瘤が破裂して大量吐血。ダメージを受けた腎臓が、腎不全となった。 「人工透析を受けているとき、口の中から大量に出血したんです。出血を吸引する処置を受けながら、『あと数日で死ぬ』と思っていました。病室に戻り、家族や相方、お世話になった方に『たぶん、もうもちません』と、お別れの電話をしました」  だが、命綱はかろうじてつながった。その3時間後、ドナーが見つかったのだ。 「移植の順番は、患者の容態で決まっています。私の場合、腎不全を併発し、『このままでは数日で亡くなる』と判断されたんです。皮肉なことに、腎不全となったことで、移植の順番が早まったんです」  肝臓と腎臓の同時移植手術は、成功した。 「移植後、総ビリルビン値は正常となり、黄疸で黄色く濁っていた目も、元に戻りました。心配されていた拒絶反応もほぼなく、術後10日で退院して、3カ月後に帰国することができました」  ところが、移植した腎臓が徐々に不調をきたすようになり、2015年には生体腎移植手術を受けることになる。腎臓を提供したのは、妻だった。 「なにせ経験者ですから、このときは、あまり不安はありませんでした。妻には感謝しかありません」  現在では、講演活動などを通じて、移植に関する問題を訴えている萩原。彼のケースについて、肝臓専門医の浅部伸一医師は、こう話す。 「現在では、母子感染によるB型肝炎は、出産時の免疫グロブリン製剤とワクチンによる予防処置で激減しています。日本は、この点では、世界でもっとも進んだ国なのです。  一方、肝硬変に有効な治療は肝移植ですが、日本ではドナーの数が圧倒的に少ないんです。萩原さんが現在でも訴えているように、移植しやすい環境作りが必要とされています」 (週刊FLASH 2020年6月23・30日号)

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