自動車とジェネリック医薬品、両業界に共通する「成功を手助けする黒子」の存在
*大反対された「スターバックス」 チポトレは、このブループリントを利用して出現した数多くの成長著しいチェーンの1つだが、実は「スターバックス」もそうだ。 1980年代、スターバックスはコーヒー通に豆を販売するだけの小売業者で、店舗数もほんの数店しかなかった。スターバックスにマーケティング・ディレクターとして新たに採用された元ゼロックス営業マンのハワード・シュルツは、あるときミラノを訪れていくつものエスプレッソ・バーを目にした。シュルツはすっかり気に入った。 アメリカにこんな店はない。アメリカでは、味のしないスーパーマーケットのコーヒーや、コーヒーショップとは名ばかりの多少こぎれいな食堂と大差ない店が当たり前だった。 シアトルでなら、コーヒーハウス文化が花開きはしないだろうか? しかし、スターバックスの経営陣はこのアイデアに興味を示さなかった。彼らはホスピタリティ事業には手を出さないと言って譲らなかったが、シュルツは粘って最終的に同社CEOに試験的に1店舗だけ出すことを認めさせた。そして、これが驚くほどの成功を収めた。 だが、それほどの人気を獲得しても、同社の創業者たちは店舗数を増やすシュルツの計画に断固反対した。 シュルツは仕方なくスターバックスを辞め、自分でエスプレッソ・バーを開いた。 シュルツが開いた店のビジネスモデルは、彼のイタリアでの体験をシアトルにそのまま再現した(移し替えた)ようなものだった。 シュルツの店の名は「イル・ジョルナーレ」。ミラノで発行されているイタリアの新聞名から取ったものだった。バリスタは白いシャツを着てボウタイを結び、店内のスピーカーからはオペラ音楽が流れており、メニューにはイタリア語でも書かれていた。 数年後、シュルツの元雇用主がいよいよコーヒー豆販売の事業を売却することになったとき、シュルツには買い取るだけの十分な資金ができていた。 そして、オリジナルの「スターバックス」の名の下、シュルツは2つの事業を合併した。 外から見ていると、起業家は天才のように見えるかもしれない。彼らはアイデアの泉で、必要に応じてビジネスアイデアを生み出す尋常ではない能力を有しているように思える。 とはいえ公式に従って考えるようになれば、起業の機会はどこにでも転がっていることが自分でもわかってくるだろう。