故人に贈る「砂糖瓶」とは? 長崎・大村で続く風習…大きく需要減も、残る人付き合いの温かさ
人が亡くなった時、故人の祭壇に「砂糖瓶」を贈る風習が長崎県大村市などで受け継がれている。先日母方の祖母を亡くした記者の元にも砂糖瓶が贈られ、祭壇を鮮やかに彩っている。ただ、風習を知る人や受け継ぐ人は以前と比べ減ったという。次第に失われつつある葬送の風景を見つめた。 ◆ 田園地帯と住宅地が混在する西大村地区。祖母の祭壇には、親戚や近所の人から贈られた色とりどりの砂糖瓶が供えられた。遺族を慰めるような明るさを放っている。 砂糖瓶は文字通り、ガラスなどの瓶に粉砂糖が詰められている。前面は角砂糖や菓子などでカラフルに彩られ、上部に贈り主の名や造花を飾る。値段はサイズで異なり、ある店舗では1個4千~6千円台。記者宅に届いた砂糖瓶は飾り付けも含め、高さ40センチ、直径20センチほどのものが多かった。 市内では砂糖瓶を受注する和菓子店や商店が複数ある。明治創業の老舗菓子店、森洋海堂(本町)の森晶子さんによると、同店の砂糖瓶は前面を砂糖菓子の一種、口砂香(こうさこ)で鮮やかにデザイン。初七日までに故人宅へ配達し、四十九日まで祭壇に供えられる。忌明け後は中の砂糖を袋などに小分けし、周囲へのお返しなどに用いる。山間部の萱瀬地区では商店「まるふく」(田下町)が砂糖瓶を受注。米を詰めたタイプの瓶も販売しているという。 ◆ 風習の起源は定かではない。市歴史資料館によると、長崎から砂糖文化を広め「シュガーロード」とも言われる長崎街道沿いに位置することを背景に、古くから貴重品だった砂糖を冠婚葬祭の贈答に用いる文化が根付いた可能性がある。 稲田製菓(大村市杭出津2丁目)の稲田喜男さんによると、法事料理を遺族が作っていた頃、料理に欠かせない砂糖を贈った名残でもある。以前は客の要望に応じて米や豆など砂糖以外も詰めていた。農村部ほど風習が盛んという。 記者の祖父母も農家だった。約10年前に祖父が亡くなった時、親戚や近所から30個以上の砂糖瓶が贈られた。祖母も知人の訃報を知ると砂糖瓶を準備していたようだった。だが、複数の店舗によると、砂糖瓶の受注は総じて以前より減少。稲田さんは全盛期の「3分の1を下回る」と語る。 人口が増え続けている同市だが、食習慣の変化や不景気、世代交代などを理由に風習を受け継ぐ人は少なくなっているようだ。とりわけ、冠婚葬祭の規模が縮小した新型コロナウイルス禍を境に、需要は大きく落ち込んだという。 地縁血縁が強い時代の名残のような砂糖瓶は、今後も減っていくかもしれない。一方「『砂糖瓶がないと祭壇が寂しい』と買い求める客もいる」と森さんは話す。砂糖は花と違って枯れることはない。さらに、人付き合いの温かさに触れることもできる。稲田さんは「祭壇に供えると、故人はこれだけ交際があったんだなあと(思う)。良い伝統だと思う」と語った。 記者も親戚や近所の人からいただいた砂糖瓶を一つずつ祭壇に飾った。そのたびに収穫したミカンを周囲に配っていた祖母の姿を思い出した。親しかった人たちから贈られた砂糖瓶に囲まれ、遺影が少しうれしそうに見えた気がした。