もしも(10月18日)
もしも―と、背伸びするように夢を抱く。たいてい、消えてなくなる蜃気楼なのだが。時には叶う。ささやかな喜びこそ人生か▼もしも、大スターになれたなら。終戦後間もなく、郡山市に生まれた少年は憧れた。父親がこぐ自転車の荷台に腰掛け、映画館に通う道すがら。決して豊かではなかったが、ほんわか心地よい人情に包まれて育った。立ち寄ったご近所で、声がかかる。「ほれ、手だせ」。広げた掌[てのひら]に、おしんこ。こんな古里がたまらなく好きだった▼「もしもピアノが弾けたなら」と歌ったら、光が差した。芸能界の当たりくじを引く。80キロの憎めない猪八戒は、NHK大河ドラマの主役に。かけがえない家族に囲まれ、趣味にのめり込む日々こそ、ささやかだが至極の幸せ。釣りバカ日誌のハマちゃんが教えてくれたのは、生きるという醍醐味そのものだった▼名が通るほど、満たされぬ何かを感じていたのかもしれない。表情に影を感じさせる瞬間があった。「東京砂漠」への幻滅だったか。故郷の円熟のアイドルを突然失い、県民は言葉もない。「さらば」なんて絶対に言わねがら。西田敏行さん。もしも、もう一度あの温かな訛[なまり]が聞けるなら…。<2024・10・18>