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何も謂ふこと無し…特攻機、自宅上空を旋回 特攻隊長の次女、桶川飛行学校の保存活動「平和が続くように」

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埼玉新聞

 「人世の総決算 何も謂ふこと無し」―。1945年4月1日、太平洋戦争末期の前線基地、鹿児島県の知覧基地を飛び立った第二十三振武隊特攻隊長伍井芳夫大尉=享年(32)=が前日に書き残した言葉だ。「本当はたくさんのこと言いたかったんだと思いますよ。あってはならない究極の任務だったんですから」と語るのは伍井大尉の次女でNPO法人「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」代表の臼田智子さん(76)。父と死別したのは1歳7カ月の時だった。 座ったまま白骨化、山積みのがれき…原爆の記憶、消える時代懸念 被爆体験語る男性、あの日の光景を記録に

 出撃5日前の3月27日、栃木県の壬生飛行場を発った伍井大尉の特攻機は勤務していた埼玉県の桶川飛行場、そして自宅の上空を飛来し、2回旋回して翼を振り、当時26歳の妻園子さんと3人の子どもたちに別れを告げた。臼田さんは母と手をつなぎ、しっかり大地に立って見送った。  「父のことは何も覚えていません。でも父が私たちのことを最後まで思ってくれていたことは分かる。そして教え子たちのことを大切にしていたことも」  伍井大尉が熊谷陸軍飛行学校桶川分教場の教官として赴任したのは43年。その年の8月18日に臼田さんは誕生した。戦争が激化し物資も食料も不足する中、学徒出陣が始まり、飛行学校には見習士官として多くの学生が入校してきた。彼らは通常より短い訓練期間で戦地へ送り出された。  「32歳という年齢は知覧から飛んだ特攻隊員としては最高齢。母は3人も子どもがいる父が特攻命令を受けると思ってなかったようで、父も母には最後まで話さなかった。でも、若く操縦技術の未熟な教え子たちだけを逝かせるわけにいかないと思ったんでしょうね」

 伍井大尉は2通の遺書を残した。生まれたばかりの長男には「オ前達ノ成長ヲ見ズシテ去ルハ残念ナルモ悠久ノ大義二生キテ見守ッテイル」とあり、臼田さんと姉宛てには「日本男子ノ最大ノ誉ヲ得テ立派ナ戦果ノ下二散リマス」と書かれていた。長男芳則さんは伍井大尉が戦死した3カ月後に病死。たった8カ月の命だった。  園子さんはその後、桶川市内の小学校教諭として働きながら姉妹を育て、68歳で生涯を閉じた。臼田さんは2003年に「特攻隊長伍井芳夫~父と母の生きた時代~」をまとめて上梓している。  臼田さんは母の後を継ぎ、遺族会の活動に参加し始めるようになった。そして10年から父に深いゆかりのある桶川飛行学校の保存のために活動を開始する。「学校が残っていたことは奇跡なんですよ。私はどうしても市で管理してもらいたかった。それがかなって本当にうれしい」。今月4日に開館した「桶川飛行学校平和祈念館」は、臼田さんが力を注いできた「語り継ぐ会」の悲願だった。

 「かつて国のため、愛する人のために命を懸けて戦った人がいたことを忘れないために。そして今の平和が未来に続くように」  伍井大尉の遺書(複製)や写真などは祈念館で観覧することができる。

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