【小倉智昭さん追悼】子どもの頃につけられた「酷いあだ名」が悔しくて…実は克服してなかった吃音など、小倉さんが自著で明かしていた「本音」とは
「事前の原稿は用意しません」「とくダネ!」オープニングトークの裏側
「とくダネ」名物とも言えるオープニングトーク。小倉さんのフリートークはよどみなく、5分からときには10分に及んだ。あのトークのためにどのような下準備をしていたのだろうか。 「実は事前の原稿なんかは用意していません。しないほうがいいとすら思っています。子供の頃、吃音を治す過程で、作文を書くときに必要な起承転結が、しゃべりにも必要だっていうのに気がついたんです。 しゃべることは作文だというふうに思ってたから、文章構成をしてしゃべるみたいなところがあります。僕のスポーツ中継って行き当たりばったりしゃべってはいますけど、一方で、全部作文みたいな感じでしゃべっているんですよ。でも、予定稿ではあんまりしゃべりたくないので、その場で見たものを一応、頭の中で文章化したうえで口に出すみたいな感じで」 毎朝これを行っていたというのだから驚きだ。小倉さんは子供のころから本を読むのも好きだったとも言う。 「頭の中で起承転結をイメージしておくだけ。新人のアナウンサーと一緒に仕事をすると、彼らは原稿を用意したうえで、さらに赤字を加えたりとか、しゃべることを書きだしたりとかって準備してるじゃない? 『そういうのは、やめたほうがいいよ』っていつも言ってたけどね。『なるべく書かないほうがいいよ』って」 ただこの“芸当”はトレーニングの賜物というよりも、小倉さんの持って生まれた資質から致し方なく身についたものだったのかもしれない。 「やっぱり吃音があったから、話す言葉を頭の中で事前に決めておくほうが話しやすかったっていうのはある。そのおかげで脳内で素早く整理して文章化する癖ができたというか。吃音だと、とっさに言葉は出てこないんですよ。何か言い返そうとしても、必ずつかえてしまったりとか、口ごもってしまったりする。 自分は何て言い返すべきなのかといったことは常に頭の中で考えていた。そうすれば言い返しやすいじゃないですか。その積み重ねみたいなところがあって。だからスポーツ実況、競馬の中継でも僕は瞬間的に作文しながらしゃべってたんです」 *** 昭和・平成・令和を通してお茶の間に親しまれ続けた小倉さん。あの並外れた活躍の裏には、幼少時代の悔しい経験が活きていた。 協力:新潮社 Book Bang編集部 Book Bang編集部 新潮社
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